☆安倍晴明公 賀茂光栄様 現代の陰陽師パワー

何らかの対策を…

☆8月27日夜は左脇腹の「腹痛」で眠れず、28日は朝1番で近所の医院で診て貰い、とりあえず、様子をみる為に「痛み止めの薬」を処方していただいた。(苦笑) 

 6月に「肺炎」になったこともあり少しばかり警戒しているところで、痛いと仕事ができないくらいの感じで、支障をきたしてしまうと大変困るので、何らかの対策は必要だと感じています。

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 たとえば、6月に「肺炎」になった時の参考事例を挙げると、物理的要因とは別に、霊的な事では悪想念以上に、レプタリにゃん(笑)(爬虫類型宇宙人)の影響が大きかったことだ。 

 レプタリにゃんを死ぬほど毛嫌いする方も沢山いて、そういう人は「おそらく過去世で喰われた事があるのだろう」と思っていたのですが、

 まさかここまで「たたり神的色彩が濃い!」とは、それまではあまり分からなかったが「現実にこういう事になるのだなぁ~」と実によく腑に落ちた。 反面教師としては最高の題材と思えるほどで、 

 その後7月、8月と日が経つにつれて『プレアデス』に強く関心を持ち始めるとともに、誠に不思議ですが、プレアデスと対立するであろうレプタリにゃんの事も、二元論的に同時によく分かるようになって来たことだ。

 それはレプタリにゃんが、どういう性質のものか字面では分かっていても、実現党応援などの実践では、仮面(ふだんは獰猛性を気づかれないように隠している)が剥がれるというか、その本人の本性がもろに現れる(詳細は割愛)からで、

 

 どうも陰陽師系の指導霊様方は、それを私に「こうした機会を使って実地で教えたかった、十分自覚させる指導をしたかったようです。」(時短も含め、体験が一番よく腑に落ちるから)というのが結論ですね。(笑)

 それが解らないと見抜けないと、現代の陰陽道的に、その先の修行に進めないものが何かある感じがしますねぇ。

 「信仰レプ」は肯定されると言ってもそれはピンキリで、教団内部や実現党内部の人々に向ける競争心や攻撃的エネルギーを、外部の敵に向けて戦うことのみ許されることなのだろうと思う。

 そうこう考えるうちに、

 結論は、悪想念だけでなく『レプタリにゃん対策』も、陰陽師系の神々やプレアデスからご指導を賜り対策を強力に施していきたい!と、切実に思うようになりました。(笑) (このように切実に思うとか、集中して強い思いが出ないと、そうならないのも心の法則のようですねぇ~)

 

 必然といえば必然ですよねぇ…。

 これから、ますます指導強化されて来ることは間違いない!と思いますね。

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 そして、今回のテーマ、「左脇腹の腹痛」ですが、これはレプタリにゃんの影響等ではなく、悪質ではないことは確かであると思いますが、ある種の念波の影響が出ているのではないかなと思っています。 

 霊的知覚が向上していることもあり、強い念も度が過ぎれば、何かと支障をきたすのかも知れません。やっぱり、さわやかな善念の方がありがたいですねぇ。 

 もちろん、この世的には痛みを薬で柔らげていますが、時間がとれれば、大きな病院でCTスキャンや検査が必要という感じぐらいのところまで来ているので、何らかの対策がいる感じです。

 前回の肺炎のときと同じく、ご近所の医院で診てもらっていますが、診察を受けるたび触診もあって「メタボ腹」も随分気になって来ていて(>_<) 少々カッコ悪いので、「少しは自転車にでも乗って、まめにポタリングでも意識して運動しようかなぁ~」と、心地よく走れるコースをテスト中…。 上の写真(GXR+S10で撮影)は、その一駒です…。

 いろいろと「何らかの対策を…」必要とする記事を書いて来ましたが、何らかの「メタボ腹」対策の方が最重要かもですねぇ。(苦笑)

 今回も御覧いただきましてありがとうございます。心より感謝いたします。m(_ _)m

 
 

 

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プレアデスの研究を…

☆大阪正心館の【《主の光を宿して、いざ「霊性革命」成就へ!》の集いへ】8月21日(水)13時~8F礼拝堂の行事の最後の記念写真撮影で、『記念写真』撮影補助ボランティアをさせていただきました。

 大阪、奈良、和歌山の各支部の皆様方の『記念写真』ですので、次々と10~15名を30組くらいでしょうか、連続撮影を短時間にこなしますので、それなりにパワーがいります。(笑)

 撮影メインのSさんも、撮影で実際にやれることは限られていますが、細部の事にも気を使いながら、少しでもいい『記念写真』を追求してくれました。ご苦労様でした。

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 記念写真を撮影を終えてゲスト3名だけの記念写真撮影中に横からパチリ。 向かって右から、幸福実現党釈量子新党首、鶴川晃久伝道局長、北林寛子財務局長。

 それぞれのお話が、大阪人に合わせていただいてか、とてもワクワクで楽しく、しかも霊的パワー、異次元パワーを強く感じさせていただける内容で、心地よいひとときを過ごさせていただきました。

 そして、プレアデスのホワイトナイトといわれる鶴川伝道局長導師による、プレアデス系祈願 「プレアデス・ヒーリング」「プレアデス運命の輪を回す祈り」があり、愛と美と調和+発展のプレアデスの磁場が、いかなるものか少し体感させていただきました。

 というのも、『日本を救う陰陽師パワー』のP47で安倍晴明公が、

 最初は、アイデアやヒントのレベルで、そして、次ぎの段階は、物事を現実化する能力のレベルで、そのパワーを引いてくることができるようになります。

 まずは、知ることが大事であり、知らないことには実現しません。「天文には力があり、いろいろな星から力を引いてくることができる」ということを「知っている」ということが大事なのです。

 また、P52には

 今、明きらかにされてきていますのが、エル・カンターレ系団のもとになっているものに、金星ルーツの宇宙系団がございます。

 そういう星の人たちと交流を密にしようとするならば、ピラミッドの形をとるかどうかは別として、「やはり、それなりの装置をおつくりになったほうがよろしい」と申し上げているわけですね。

 ピラミッドは、本当は小さくてもよいのです。室内に収まるぐらいのものでも構わないのです。

  金星と交流する。琴座のベガと交流する。

  あるいは、プレアデス星団と交流する。

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 まあ、いろいろあるでしょうけれども、そうした星々に住んでいる高度に進化した者たちは、ある意味での神々でもあるわけなので、彼らの智慧と奇跡の力を引いてくることが大事ですね。

 私も、生前は、昴、すなわちプレアデスの力等を十分に使っておりました。 肉眼で見える星ですのでね。(安倍晴明公)

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 とあり、今、個人的にも関心が集中している『プレアデスの研究を…』ということですね。

 やはり、親和性のあるところから、そして徐々に具体的になっていくようですね!

 その意味では今回の大阪正心館の【《主の光を宿して、いざ「霊性革命」成就へ!》の集いへ】のボランティア参加で、とても貴重な機会を賜り、安倍晴明公、賀茂光栄様をはじめとする賀茂一族の陰陽師系の神々様、プレアデスの皆様、主エルカンターレに心より感謝いたします。m(_ _)m

 今回も、御覧いただきましてありがとうございます。 心より感謝いたします。

※過去記事参照 上の図48キララ(金庫番)→01プレアデスのキララですが、☆京都 地主神社に参拝で、少しご説明いたしました。

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☆『草笛の音』という話と【陰陽師的瞑想曲】

☆『瞑想』で本当に使えるもの、今回は特に【陰陽師的瞑想曲】で、静寂な心に誘われるものをご紹介したいと思います。  が、 その前に、なぜその【陰陽師的瞑想曲】をご紹介させていただこうと思った『動機』を少しばかり、お聞きいただければありがたいと思います。

 それが、『草笛の音』という話です。 お時間の許す方は、少し長文ですがしばしお付き合いくださいませ。m(_ _)m

 昔、あるところに大男がいた。 

 この大男は、身長は二メートル五十センチもあろうかという大男であった。 

 街の中を歩いても、だれもかれもがその大男の顔を見ては恐れおののき、そして家のなかに入っては閂(かんぬき)をかけ、窓の隙間からその大男が遠ざかってゆく姿を見ていた。

 その大男は、頭にターバンを巻き、腕に金の輪を巻き、体は赤銅色、腰から下には何とも言えないネズミ色のズボンをはいていた。そして足首には鉄の鎖がついていて、この大男がどこからともなく逃亡してきた者であるということを推定させた。

 この大男は、たいへん力が強く、馬の一頭、二頭をひきまわすのは当然のこと。木造建ての小さな家など、この大男が怪力を発揮すれば、たちまち壊されてしまうほどであった。動物たちも、この大男が通ると、いつ締め殺されるかと思って、悲鳴をあげては、逃げまどった。

 そこで、村の長老が協議をした。

 「あの大男を何とかできないものだろうか。何とか、あの大男の粗暴なはたらきを、やめさせることはできないだろうか」 そうやって、村の長老たちが三日三晩協議をしたが、なかなか結論が出なかった。

 そこで、「結論が出ないが、とりあえずあの大男を生け捕りにして、村から外に追い出すことに成功すれば、どうにかなるのではないか」そのように提案する長老がいた。

 他の者は、「なるほど、あの大男を生け捕りにして、村から出せば、確かに我らは安全であるが、ところで、その大男がまた帰ってきた時にはどうするのだ」

 「そういえば、帰ってくるとなると、いつ帰ってくるかわからぬが、それがまた心配の種になる」

 「しかして、その前に、どうやって彼を生け捕りにするのだ。生け捕りにするような勇気がある者がいるのか」そのように言う者もあった。

 「ウーン、それでは、大男が帰ってこないようにするためには、殺生の罪を犯すことにはなるが、ひと思いに彼を殺してしまったほうがいいだろうか」

 そうやって協議をしばらく続けた。あの大男をどうやって殺すのか。しかし、彼を殺そうとしても、もし、し損じたならば、大暴れされて、村人は何十人となく殺されるかもしれない。

 もし、弓矢で射たしても、あの鋼(はがめ)のような体に、ほんとうに矢が通るのかどうか定かではないし、もし矢が通ったとしても、そんなものではあの男はビクともしないかもしれない。

 また、何か罠(わな)をかけてつかまえるということもあるが、その罠を見破られた時に、また大変なことになる。

 いろいろ議論百出したが、どうしてもよい知恵が浮かばない。

 「困ったものだ」「困ったものだ」

 その時に、ある若い女性がその話を聞いていて、

 「私の意見がみなさまに聞いていただけるかどうかわかりませんが、実は、一つ名案がありますので、私の案を使わせていただけませんでしょうか」

 そのように、若い女性は話を切り出した。

 長老たちは意外な思いがした。 その若い女性が、どうやってあの大男を始末するというのだろうか。どう考えてもわからなかった。

 「いいえ、どうか私めにお任せください。必ず、明日以降、あの大男が粗暴なふるまいをしないようにしてみせます」

 「まあ、そうしてくれるならば、それに越したことはないが、どうしようが、皆の者」

 そして、長老たちは議論をして合ったが、ほかによい案もないので、とうとうその若い女性の意見を採用し、彼女に任せることとした。

 その若い女性には、小さな男の子が一人いて、その子はやっと五つになるぐらいの歳であった。この子はさほど取り柄もない子供であったが、一つだけ得意なものがあった。

 それは、草笛を吹くという技術であった。

 この賢く若い母親は、自分の子供の草笛によって、あの大男が必ずおとなしくなると考えたのだ。

 翌日、また街の外れから大男が、砂煙をあげて、ドッドッドッと街の中心に向かってやってきた。

 街の者どもはまた雨戸を閉めて、オロオロと家の中にこもっていた。

 今日は、どこに被害が出るか、だれが怪我(けが)をさせられるかと思って、恐れおののいていたが、その街のまんなかに、その母親と子供の二人だけが残った。

 広場に、二人の姿があって、それをうかがう者たちは、

 「だいじょうぶだろうか。若い女性と子供じゃないか。ひとたまりもないかもしれない。食べられてしまうのじゃないか」

 そう噂していた。 そこへ、鬼がと思うようなその大男がやってきた。 そして、まわりの者の予想通りその母親と子供につかみとろうとした。 みんなが固唾(かたず)を飲んで、

 「ああーっ、これは大変なことになる」

 と思って見ていたところが、母親は穏やかな顔で、右側にいる自分の子供にそっと頷(うなず)いた。

 すると、その子供は、ふところから草の葉を撮り出して、草笛を吹きはじめた。その「ピーヒョロ、ピーヒョロ」という音が、その大男には何ともいえない感情を抱かせた。

 「何だろう、この音色は。この音色は何だろう。ああーっ、この音色は懐かしい。どこかで私はこの音色を聞いた気がする。どこかでこの音色を聞いた覚えがある」

 その母親は見抜いていた。その大男はきっとインドのほうのたぶん身分のある人に仕えていた下僕に違いない。その身分ある人は、おそらく音楽を使って、この大男の、この凶暴な性格を穏やかにしていたに違いない。そう感じていたのだ。

 たしかに、大男は昔、逃亡してくる前は、ある若者に仕えていた。その若者は体こそ小さかったが、笛をじょうずに吹いて、その大男をいつもなだめていた。

 それゆえに、その大男は、しばらく聞いたことがない音色というものを、小さな男の子の草笛を通して感じ取ったのだった。 そして、自分が今までやってきたことを、ふと、ふり返った。すると、目から大粒の涙がハラハラ、ハラハラ、ハラハラ、ハラハラ、ポタポタ、ポタポタと落ちてきた。

 「小さな五歳の男の子の草笛に、あの大男が涙を流しているぞ」

 村人たちは驚いた。そして、

 「なんだなんだ。そんな悪者でもなかったのか。子供の草笛で涙を流すとは、そんな悪者ではなかったのか」と、おそるおそる雨戸をあけて、一人二人と集まってきた。 そして、村の広場は人びとでいっぱいになった。

 「そうか、この大男は何ひとついいところはないと思ったが、音楽を解する心があったのか。それでは、みんなでいっしょに、笛を吹いてみようじゃないか」村の笛を持ち寄って、皆の者が笛を吹いた。そうすると、大男は最初は涙を流していたが、次第しだいに陽気になり、まわりの者といっしょに踊るようになった。こうして、笛の音色ということを通して、大男の心の優しさが知れ、そしてまわりの者も安心感を得て、いっしょになかよく住めるようになったのだった。

 大男は、村を外敵から守り、そして村人たちは大男に笛を吹いてやることによって、彼の心を和ませた。こうして両者が平和に暮らしたと言う話だ。

 さて、以上のたとえ話で私が何を話したかったか、

 あなたがたにわかるだろうか。

 この大男と村人というのは、決して別々の人のことではない。

 

 実は、あなたがたの心のなかに住んでいる住人であるのだ。

  

 あなたがたの心のなかには、

 実はどうすることもできない粗暴な大男がおり、

 またその大男に対して、怯え、恐れおののく

 小心な自分というものがある。

 誰の心のなかにも、こうしたものはあるのだ。

 自分の心を統御しようとしても、

 どうしても欲望にひかれてゆく心があるはずだ。

 

 その欲望にひかれている心は、

  たとえば異性を見ては、心が狂い、

 金銭を見ては、心が狂い、

 また他人の持ち物を見ては、心が狂い、

 あるいは他の人が幸福になると聞いては、心穏やかではない。

 そうした荒れ狂う台風のように統御できないものが

 自分の中にあるはずだ。

   その統御できないものこそ、

 実はこのたとえ話に出てくる大男であるのだ。

 

 しかし、この統御できない大男も、

 かつて鎖(くさり)につながれていた時に、

 どこかの誰かに統御されてきた、

 支配されてきた、

 飼い慣らされてきたという、懐かしい気持ちが残っている。

 その懐かしい気持ちを想い起こさせたならば、

 その大男をおとなしくすることはできるのだ。


 それは、もっともっと力の弱い、小さな村人だと思われる者であっても、

 その大男を統御することができる。

 その通り---。 


 まず恐れというものをなくさねばならない。

  自分の心は自分の手に負えぬものだと思ってはならない。

  自分が自分ではないような、

 まったく魔に踊らされ、魔に自由にされるような、

  そんな自分であると思っていけない。

 

 自分は必ず、自分の心を統御できると思わなくてはならない。

 そして、統御する方法はというと、

 実は決して腕力によって統御するのではない。

  

 これが何を言っているのかわかるだろうか。

 

 それは、決して難行・苦行によって、

 自分の心を統御することができるわけではない、

 ということを言っているのだ。


 滝行をしたり、あるいは断食行をしたり、

 いろいろ難行・苦行があるが、難行・苦行によって、

 その心をなだめよう、心を統御しようとする試みは、

 弓矢を射かけたり、あるいは罠をしかけたりして、

 大男をなんとか取り押さえようとするのと同じで、

 かえって大男を凶暴にさせてしまうことになるだろう。

 心はいっそう自由にならなくなる。

  

 そうではない。

 

 もっと平和的で、

 もっと小さな気づきを用いて、

 もっと楽しい方法によって、

 心というもは統御できるのだ。

 

 つまり、私は、

 決して非凡な世界の中に悟りがというものがあるのではない、

 決して非凡な経験の中に悟りがというものがあるのではない、

 ということが言いたいのだ。

 日々の平凡な生活のなかに、実は悟りへのよすががある。

 実は、悟りへの道があるのだ。

 そして、平凡な日々のなかの、

 平凡な一日一日のなかの悟りとは、

 実は、ほんの小さな発見にあるということを私は言いたいのだ。

 

 ほんの小さな発見とは何であるか。

 それは、かつて、私たちが実在界・天上界にいた時に、

 知っていたところの音色だ。

 その音色を想い起こすということなのだ。

 私たちが悟りに到るためには、

 実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことなのだ。

 それが大事なのだ。

 

 実在界で味わっていた音色とは何であるか。

 それは、人に対する優しい気持ちでもあったであろう。

 人に対する祝福の気持ちでもあっただろう。

 また欲望を強くせず、足ることを知る心でもあっただろう。

 あるいは、ともに相和し、ともに協力しあい、

 ともに生かし合う姿であっただろう。

 限りなく透明感にあふれ、限りなく優しい、限りなく暖かい、

 そうした気持ちがあったのであろう。

 しかり、そのような世界こそが天国である。

 このように地上に降りて生きていても、

 この天国のことを思い出して、日々、生きることだ。

 天国の生活を、日々、想いにおいて描いて生きることだ。

 さすれば、その時に小さな小さな草笛を吹いていることになる。

 やすらぎの世界のことを常に想い描いて日々を生きることだ。

 

 その時に、大男は静まり、やがてあなたがたの敵ではなくなるだろう。

 あなたがたを味方し、あなたがたの思いのままに動いてくれる、

 大切な大切な力となるであろう。

  

 私は今、たいへん平凡なことを言った。

 平凡ななかに悟りの香りがあるという話をした。

 さて、ではこの成功の条件であるところの悟りの香り、

 魂が光っているとういう感覚と、

 忍耐ということはどういう関係にあるのか、わかるだろうか。

 

 すなわち、忍耐と成功とは、

 平凡という言葉によってつなぎ合わされることとなるのだ。

 非凡な毎日、非凡な生活のなかでは、

 忍耐というものは、それほど大きくはたらかないかも知れない。

 しかし、平凡な毎日を積み重ねてゆくということは、

 限りなく忍耐を要求されることであるのだ。

 

 平凡な毎日を送ってゆくということは、限りなく忍耐が必要となる。

 平凡な毎日を送りながら、

 その中で、天国の懐かしい情景をときおり心に想い巡らせて、

 そしてそれを理想と生きていくということは、

 絶えず困難で、絶えず難しい問題であると思える。

  

 しかし、こうした弛(たゆ)みない努力こそが、

 人をして、永遠に進歩させ続けるのだ。

 修行の過程において、一躍悟ることは難しい。

 

 一躍大いなる進歩をすることは難しい。

 一冊の本を読み上げることができなくとも、

 たとえ一行なりとも読み、

 今日は一歩前進したと思えるような毎日を積み重ねることが、

 実は大いなる未来を開いてゆくための鍵となるのだ。

 

 成功には、忍耐が必要で、

 忍耐を用いて成し遂げた成功は、

 決して他の人々の嫉妬をかうことはないであろう。

 

 それはその人が費やしたそれだけの努力が、

 他の人々の尊敬を受けるからである。

  このように忍耐を得られた成功には、必ず徳というものが光っている。

 

 この徳は、

 他人の嫉妬心や僻(ひが)みの心を完全に消し去るだけの解毒剤を有している。

 すべからく成功者は、このように、忍耐によって徳を身につけることが大事である。

 さすれば、必ずその努力は、

 報いがあって、しかも余りあるものとなるだろう。

 余得というものが生まれてくるにちがいない。

 私はそう思う。

 と、お釈迦様のたとえ話(仏陀再誕P221~242)ですが、その中で

 平凡な一日一日のなかの悟りとは、

 実は、ほんの小さな発見にあるということを私は言いたいのだ。

  ほんの小さな発見とは何であるか。

  それは、かつて、私たちが実在界・天上界にいた時に、

  知っていたところの音色だ。

  その音色を想い起こすということなのだ。

  私たちが悟りに到るためには、

  実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことなのだ。

  それが大事なのだ。

  とありました。 


  とむすけさんやはり 『反省→瞑想→祈り』大事ですよ。と、

 みなさんが教えてくださることもあり、実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことなのだ。とは、それを実際に継続していこうと思うならば、どうしても 『反省→瞑想→祈り』凡夫なりにも深めていく必要があると、強く感じさせていただいています。

 とはいっても、一躍という感じにはとうてい無理無理(>_<)なので、

 たとえば 『反省→瞑想→祈り』 の中の【瞑想】の時にその導入で、実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことできる心地よい調べというか、高次元波動(バイブレーション)の瞑想曲(何らかの笛)がほしいと思い、いろいろ探し試してみて考えるのですが、

 その中でも【陰陽師的瞑想曲】となると、心静かに集中しやすく心地良い感じ♪が強くする、映画陰陽師独奏の素敵な曲がよいだろうと選ばせていただいた次第です。

 すみません随分と前振りが長かったですが、結局はお気軽にお楽しみくだされば幸いです。(^o^) 

 また、この動画UPしてくださった方(作者に)に心より感謝いたします。m(_ _)m




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信太森葛葉稲荷神社

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☆安倍晴明公関連の信太森葛葉稲荷神社(しのだのもりくずのはいなりじんじゃ)を、一度ゆっくり撮影取材してみたいと思い、行って来ました。(^o^)

 平成24年6月6日水 カメラは、IXY410FとK5+18~135mm+魚眼ズーム+77mm

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 葛の葉町↑という地名自体がすでに雰囲気を醸すというか、何か期待させるものがありますね。w

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 参道がこれ↑

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 正面から↑魚眼ズームで

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 こうしてみると、68もの神様が奉られていてびっくり! 神道の八百万神々の思想を、そのまま物理的に体現したかのような、垣根の低さの異界空間ではないかとも感じられますねぇ。w

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 最初にちゃんと参拝させていただいてから、撮影にはいらせていただきます。 立派なお社。

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 あたり前だが、稲荷神社さんだけに狐さんが沢山です。 

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 異界に踏み込んだ感が強くするのは、多数の狐さんによる演出のものかも知れません。

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 最後は、UFOの発着場で。笑

 御覧いただきまして、ありがとうございます。

 どうでしょう、いかがでしたでしょうか。

 期待どおりの異界空間に、写真的にまとまったかどうか分かりませんが、少なくとも今までにない別次元の空間を、写真撮影取材させていただけたことに、心より感謝いたします。

 これからも、いろんなテーマ、モチーフに挑戦していこうと思います。 

  ※おまけ↓ 雰囲気ありますよねぇ♪

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    このパッケージデザインだけでも、十分に描かれていますよね。笑

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☆ファイナルジャッジメントPR 王子本通商店街 あべの王子商店街

☆映画ファイナルジャッジメントのPRを、幸福の科学大阪平野支部のみなさんが、

 地元の「王子本通商店街」「あべの王子商店街」を桃太郎するということで、急遽、動画撮影取材(個人的に)をさせていただきました♪ 

 撮影日は平成24年5月4日(金) カメラは、パナソニックGH1+7~14mmレンズです。

 桃太郎終了後に安倍晴明神社に、映画『ファイナルジャッジメント』の大大成功祈念の参拝をさせていただき、日頃は引かないおみくじ(今回は皆さんと一緒に引くことになった)を引いて、なんと一番大吉が出ましたぁ♪

  よろこび感よりも、何か身が引き締まる思いがいたします。

 ありがたいことですね。 安倍晴明公ご指導、本当にありがとうございます。

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 ※過去の一番大吉のおみくじを引いたフォトログ記事は、京都 鴨川散歩♪(上賀茂神社編)があります。

  ※過去記事参照 ☆ファイナルジャッジメント予告編

 賀茂光栄さまはじめ、賀茂一族さま方、プレアデスのみなさま方、いつも変わらぬご支援、ご指導を賜り、ありがとうございます。

 主エルカンターレよ、度重なる貴重な体験のご指導賜り、 誠にありがとうございました。 心より感謝いたします。m(_ _)m

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☆ソニーCX180の撮影テストⅡ

☆前回の記事 『☆ソニーCX180の撮影テスト』の続きです。 

 前回、撮影時間がなくなって参拝だけになった、下鴨神社でも少し撮らせていただきたいと思っていたら、うさクロンが、「Yさんが大阪マラソンに出場するので、専門特化した『健脚御守り』を、京都 護王神社に行って拝受して来てほしい。」 

 というので、それならということで、CX180のテスト撮影も兼ねて行ってみることに…。

 平成23年10月26日(水) 例によって出町柳から、レンタサイクルの必勝パターンでスタート!笑  (動画編集はiMove11です)

 京都 護王神社参拝がはじめてのことなので、

 いきなり、はじめての所で濃い取材や深い撮影はやはり不可能なので、はじめて参拝させていただく視点で、ごく普通にご紹介ビデオ的に撮影させていただきました。w

 そして、「場所は分かりにくいが、ここは美味しいですよ」↓と、地元の若い方に教えて貰ったお店。 御所南の中華そば○竹さんです。




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                                              写真はIXY410Fで撮影 

 中華そば大830円をいただいて、大満足の心持ちで、再び鴨川から撮影をスタートし、下鴨神社で瞑想とか公案禅用のBGV↓を撮らせていただけました。

 『結界論セミナーの公案』(異次元パワー)を、繰り返し学んでいくために、とむすけは、このBGV使っていきたいですねぇ。 自前で創れるのも、結構愉しいですし。w

 心地良い、心静かなひとときを味わって↓いただければ幸いです。



 このような、とても心地よい愉しい撮影の機会を賜り、和気清麻呂公、安倍晴明公、賀茂光栄さまはじめ賀茂一族様の神々に深く深く感謝いたします。 

 地球神、主エルカンターレよ。 ご指導、誠にありがとうございました。m(_ _)m    

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☆新コンデジ キヤノンIXY410Fを投入

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☆新コンデジ、キヤノンIXY410Fを投入しました。 まずはファーストインプレッション(^o^)

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 トイフォトモード↑で夜の公園

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 セピアモード↑で街角。バイクが通る瞬間に…。

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 これ↑が、大阪名物 『スーパー玉出の電飾』 右上の花火を撮るのが結構難しいですぅ~。(笑)

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 このバス停から眺める角度↑も、強烈な色彩を放つ。(笑) 最近は、大阪旅行の際にスーパー玉出でお買い物トリップを楽しまれる方が増えているとか…。

  そして、大阪 安倍晴明神社で自分の参拝の様子を一度撮ってみたかったので、一番上(最初)の写真のようにミニ三脚を付けて撮影↓させていただきました。

 実売15000円前後のコンデジで、動画のフルハイビジョン撮影機能がついていて、実際にテストをすると驚愕の高画質映像を体験。  


 

 いろんな意味で、イノベーションやパラダイムシフトが足早に、これから本気で必要になるのではないかと思われます。

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☆ソニーCX180の撮影テスト

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 京都の晴明神社に参拝のち、お隣の陰陽師本舗さんで、厄除け桃の中に五芒星をデザインしたシールを選び、今回は、雲台に貼りました。 かわいカッコいい♪ ※厄よけ桃は、下の「京都晴明神社」の動画で見ることができます。

☆パパ、ママがよくお使いになられる軽量小型、廉価版のビデオカメラ、ソニーハンディカムCX180を購入。 数年前の昔と比較しても、こんな値段でこんな高画質な映像が撮れるというのは夢のようで、ありがたいことだ。

 もっとも、デフレが深刻化して、ものの価値が下がるので値段も下がる。ある意味厳しい経営、経済の中から淘汰洗練され、真に価値ある技術、モノやサービスが、世に出て来るのではないかと思われる。

 ソニーハンディカムCX180を購入したきっかけは、ビデオ(動画)撮影にはパナソニックGH1をメインに使用していて、EOSムービー等と比べれば圧倒的に小さいものの、超広角ズーム、超望遠ズーム、GH1ボディ2台+三脚を含めた付属物を携行すると、写真撮影専用のカートを転がしていかないといけなくなり、一人で取材するには身軽さがそこなわれ、フットワークが劣ることもしばしばある。

 すでに最新の小さなデジカメにでもフルハイビジョンの動画撮影機能がごく普通についていたりして、その高画質な映像を見て日々驚かされる。

 そこで、今までの考え方、概念を一旦白紙にして、イノベーションをする必要に迫られ、何をどんな機材を選べばよいのか、多種多様な選択肢の中から、コストパフォーマンスを考え、これはスチル写真撮影も同じで、大きく重い機材は持ちたくない「動画撮影をもっと手軽に、撮影機材をおっくうにならずにすぐ持ち出せるようにしてみたい」と考え、あえてソニーのハンディカムの廉価版を購入することになった。

 そして、使用していなかった、たんすの肥やしのような機材を一気に処分した。(笑)

 結局、機材そのものはどんどん進化するが、撮影技術(ノウハウ)にあたるところは、撮影回数を増やしていく努力をすべきで、そうした日頃のトレーニングがイザというときに効いて来るので、むしろ、こちら(腕)の方が大事ではないかと思われ、「画質がどうのこうの」とあまりにもこだわり過ぎる人にかぎって、いい絵は撮れないものだからだ。

 手ぶれ補正の技術が向上しているが、高倍率ズームで超望遠撮影も視野にいれると三脚は要必要で、特にソニーは他社より付属物が充実していて、リモコン三脚が便利なのでリモコン(パン棒)だけ取って、愛用の雲台と脚(三脚)に付けかえた。(脚や雲台の善し悪しで映像が変わるので)

 そして、今回、平成23年10月19日水に、京都晴明神社、上賀茂神社、下鴨神社の三社の陰陽師系参拝コースをめぐるCX180のテスト撮影(時間の関係で下鴨神社は参拝だけで動画はありません)を、させていただきました。(^o^) 

  肩の力を抜いて、コーヒー(紅茶)タイムでもとりながら、ゆっくり寛いで御覧いただけると幸いです。

  

  

  

 安倍晴明公、賀茂光栄さまをはじめとする賀茂一族の神々様方、地球神、主エルカンターレよ、このような機会を賜り、本当にありがとうございます。 心より感謝いたします。m(_ _)m

 

※追記 他のCX180撮影テスト動画は↓コチラ。

 

 

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☆晴明祭2011 大阪 安倍晴明神社

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☆『晴明祭2011』 大阪 安倍晴明神社に初参観。(平成23年9月26日月曜日 天気は曇り)  その様子を動画撮影取材させていただけました。 

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 時間の関係上、簡素な動画編集にしましたが、大勢の方々で賑わう素晴らしい神事。稟とした式典でしたぁ。(^o^) 

  安倍晴明さま、貴重な機会を賜り、誠にありがとうございました。m(_ _)m 


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☆幸福の科学出版の九鬼社長が、大阪安倍晴明神社にご参拝♪

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☆幸福の科学出版株式会社九鬼一社長に、急遽、大阪安倍晴明神社に、はじめてご参拝いただけました。(^o^) 平成23年7月23日(土)

 えぇ~っというような、まさかの予想もしていない、急展開に正直びっくりしましたが、安倍晴明公らしい展開といえば、そうなのかも知れません。

 当フォトログ記事の掲載も、ひとつ返事でOKいただき、気さくでやさしい九鬼一社長さんです。

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 九鬼一社長は、平野支部の生田支部長さんの元上司でいらっしゃいます。出版のUさん。

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 真剣なるご参拝の様子です。

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 ありがたく、記念写真も撮らせていただけました。 よろこびや感激と同時に、身が引き締まる思いも一段と増して来ている感じです。

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 当社の事務所にお立ち寄り、小休止。 終始、気さくにニコニコ。 楽しいお話を沢山いただきました。 

 帰りには阿部王子神社もご参拝いただき、明日の仕事先の京都へ向かわれました。 

 貴重な機会を賜り、本当にありがとうございました。m(_ _)m

    


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