音楽

盆帰り

☆今年の盆休みは、とても暑かったし何かと用事が多くてほとんど休み無しで忙しかった。(^_^;) それはそれでよかったんだけど、お盆の季節感を肌で味わえず残念な気持ちも少しはある。 

 やはり、この時季いつも思い出すのが、小椋佳さんの『盆帰り』という叙情感あふれる名曲だ。

 今年の盆休みのあわただしさ感を埋めるように、久しぶりに聴いてみたら、心に浸み渡る潤い感心地よく、日本人の風土にあった繊細な感情が蘇り、この歳になって少しは味わい深く理解できるようになれた気がした。 






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 比較すると、やっぱり雅俊さんバージョンの方が馴染み深い感じですねぇ…。 特にサビの「せせらぎに素足で水をはねた~♪♪」が、たまらなくいいですね…。


盆帰り

作詞:小椋佳
作曲:小椋佳

君が着た花がすり 君が舞う花まつり
ひとときを 故郷のふところに 遊ぶ

明日には村はなれ 汽車に乗り
村わすれ 一年を 忙しく過ごすのは 何故

汽車に乗れば 故郷の手土産の
一輪の花の色あせることを知りながら

暮れ方の 盆がえり 火を落とす 花まつり
こよいまた故郷の駅を発つ人影

いくつかの年月をくり返すこの旅を
窓に寄りいわれなく思うのは何故

汽車の窓に移りゆく景色に似て
何もかもがめまぐるしいだけの場所へと知りながら

ひとときの盆がえり すぐにまた振りかえり
気ぜわしく上りの汽車 乗り込むのは 何故

せせらぎに素足で水をはねた
夕暮れの丘で星を数えた
突然の雨を木陰に逃げた
故郷の君の姿 ぬぐいきれないと知りながら

ララララ ララララ
ララララ ラララ…


今回も御覧いただきましてありがとうございます。 心より感謝いたします。m(_ _)m

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この音楽をどう役立てるのか?

☆やっぱり、大阪人でしたら「吉本新喜劇のテーマ」や、なにわのモーツアルト「キダ・タロー組曲」に代表されるような楽しい音楽、子供の頃からユーモア感あふれるお笑い系の音楽にもずいぶん馴染みがあるはずで、もともと日常的に人を楽しませるという、サービス精神、お笑い文化も、無意識に深く根付いていると思います。

 「この音楽をどう役立てのるか?」という観点で考えると、

 これもバイブレーション(波長同通)の法則が働くのではないかと思います。 

 この場合は、笑いやユーモアを自然に提供できる技術や技能、そのセンスを磨いたり考えたりするときには、こういうBGMを意図的に使い、自分によい刺激を与えるのが実に有効ではないかと感じています。(笑)

 ついつい脱線してしまいがちになりますね。(笑)

 前置きはさておき本題に入りますが、たとえば前々回、直前の記事に書きました「明日へ吹く風」「手のひらの愛」ですが、どのような使い方が自分の気分や感情によい影響を与えられるか、有効な方法か、少し考えてみたいと思います。

 できればよく聴き比べていただければ分かると思うので、感性を研ぎ澄ましてお聴きいただけるとありがたいのですが、これを両性の法則とでも言えましょうか、陰陽道のように二元論的解釈で…。(笑)

 と、いうと何か難しい感じがしますが、つまり、簡単にいうと…。

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                                              出典: 図解 ザ・メタシークレットのP66 

 

「明日へ吹く風」の方が、陽 男性的 どちらかというと積極的 外向的 常にはねつける 太陽 与える愛の実践 行進曲的 放電
「手のひらの愛」の方が、陰 女性的 どちらかというと消極的 内向的 常に引き寄せる  月 愛を受け取る実践 瞑想曲的 充電 

 

 「ああ、なるほど」と、感性豊かな方には、すぐにこの違いをご理解いただけると思いますが、

 

   ごくふつうに考えて、どちらも表裏一体の真理、黄金律を貫いていて、これを自らの心のコントロール、精神エネルギーのコントロールを手中にしようと考えると、少し意識した使い分けが必要になるように思います。

 結局バランスの問題で、人はどうしても「癖」があり、どちらか一極に傾きやすい傾向があります(もちろん、私自身もですが…。)から、意図的に音楽を使って足らずを補完させ陰も陽もバランスよく一緒に働かせて、新たな創造を心がけたいものですね。

 今回も御覧いただきましてありがとうございます。心より感謝いたします。

 

※関連、連続記事 

明日へ吹く風
手のひらの愛
この音楽をどう役立てるのか?

参考:☆『草笛の音』という話と【陰陽師的瞑想曲】

 
 

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手のひらの愛

そして次に『手のひらの愛』っていう歌ご存じですか? と質問したら、ほとんどが「知りません」とお答えいただくはずですが、「あの明治チェルシーの歌ですよ」と、お話しすると、大抵「ああ、あの歌ですかぁ~。それなら知っていますよ。なつかしいねですねぇ。」と返事が返ってきます。

 もちろん、若い年齢の方はご存じなく、お父さんお母さんの子供の頃流行った「懐かしのメロディ」らしいという感覚でしょうかねぇ。 

 いずれにせよ、いい歌はいい歌だと思うんですね。それも癒し系の歌で…。 まずは↓メドレーで少しお聴きくださいませ。歴代の歌手が歌っておられますね…。

ご注明治チェルシーやシモンズのPRを意図した記事ではありませんので…。ご理解のほどよろしくお願いいたしますね。(笑)

  そして、次にとむすけがその中でも「1番いいなぁ~、素敵だな~。」と思うのが、1番最初のシモンズデュオバージョンですね。



 

1.
なつかしい人に出逢ったような
やさしいたよりが いまとどいた
忘れかけていた幸せ
あなたにも わけてあげたい
ホラ、チエルシー
もひとつチェルシー

2.
小さな願いが かなったときの
うれしい気持ちは もうかくせない
歌いたくなるよな 1日
みんなにも わけてあげたい
ホラ、チェルシー
もひとつチェルシー

3.
口笛ふきたい 胸をおさえて
この手のなかには 愛の夢が
わたしにはわかる 明日が
楽しさをわけてあげたい
ホラ、チェルシー
もひとつチェルシー

 いかがでしたかぁ~。少しは癒されましたでしょうかね。

 別にとむすけの好みのシモンズのデュオバージョンがいいと合わせる必要もありません。ご自身に合う波長(バイブレーション)の歌手バージョンで、いいのがみつかればいいですね。

 この6月には「肺炎」になって、もちろん、もう完治しているのですが、今だにいろいろな方々から「大丈夫ですか?」と、やさしいお言葉をかけていただくようになり「本当に心からありがたいなぁ~。」と、つくづく思います。 

 もちろん、霊的には悪想念やレプタリにゃん(苦笑)が複合的に作用して…。 というのは十分知っていますが、同時に「虎穴に入らずんば虎児を得ず」という言葉のとおり、おかげさまで良きも悪くも色々経験させていただいて得られた教訓や智恵があり、

 今、それを自己変革の元手に、願わくばさらにワンステージ上の男磨き、魂磨きめざしてみたいと思えるようにまで快復しました。

 この場をお借りして、重ねて御礼申し上げます。 感謝 m(_ _)m  

 つづく。

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明日へ吹く風

☆阿倍野区で、今、スーパーマーケット超激戦地の昭和町ですが、その中のひとつ「デイリーカナートイズミヤ昭和町店」に、はじめて行ってみました。 

 そこでいろいろ商品を見ていると、おお、これは~。 なつかしい音楽♪♪ さわやかで明るい歌声♪♪が流れて…。 まさか新店舗で聴けるとは思わなかったですね!

 この歌は何が凄いって、スーパーのPRソングだから、ふつうはその店の名前が歌詞に入っているのが当たり前なのだけれど、『明日へ吹く風』は店の名前が入っていないことで有名な知る人ぞ知る人気の歌で…。

 また、最後の「さあ~」のサビが特にいいです。 

 とにかく元気が出ますねぇ♪♪



『明日へ吹く風』

さあ、歩きだそう 明日へ振り返らずに
光る風の中 飛んでゆく鳥のように

いつかたどり着くだろう今よりも
膨らむみんなの幸せにきっと

さあ、微笑みをみんなで分けあおう

さあ、歌声を あなたも声高らかに
みんな今日の日を 大切にしたいもの

いつかめぐり逢うだろうあたたかで
やさしい本当の友達にきっと

さあ、手をつなぎ 明日に手を伸ばそう


草や木々が太陽に向かって
静かに花びら開くようにきっと

さあ、いつの日か夢がみのるだろう
さあ、いつの日か夢がみのるだろう


 いかがでしたでしょうか。 今回も御覧いただきまして、ありがとうございます。心より感謝いたします。m(_ _)m 

  つづく。

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天満、大川端(南天満公園)のチラホラ咲きの『桜』 

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☆天満の大川端、南天満公園のチラホラ咲きの『桜』を少し撮りました。(^o^) 平成25年3月24日(日)カメラはPENTAX K-5+18~135mmです。

 肩の力を抜いて脱力で、完全にリラックスして「天満の大川端」(南天満公園)の春の日差し、憩い感を御覧いただき、少しでもリフレッシュしていただければければ幸いです。

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 「天満の子守歌」↑ 幼い頃に聞いたような感じです。(^o^)

 これ⇒【天満の子守歌】をクリックで、どんな歌か聞いていただけます。

 何か心地よい感じですねぇ。 今日から、毎日、寝る前に幼子モードで聞いたら、めっちゃ熟睡できそうでんなぁ。(笑)

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 ↑天満橋から中之島遠望。 手前の橋が、天神橋(てんじんばし)です。

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 この一角↑↓だけが、満開の頂点を極めていました。(^o^)

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 いかがでしたでしょうかぁ?

 大阪天満大川端の春の日差し感、憩い感が伝わりましたでしょうか?

 今回も、御覧頂きましてありがとうございました。

 心より感謝いたします。m(_ _)m

 

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☆『桜』 春の歌♪

春の日差しが少しづつ強くなり、気の張りを感じるようになるこの時期が特に好きです。

 『桜』という森山直太朗さんの歌はとてもいい感じですねぇ。 万人受けするスケール感が心地良いです。

 出会いと別れのある節目となる惜別のシーンをみごと表現されていますが、今回、それを手嶌葵さんバージョンで。 

 「桜」の写真は、自分が撮りためしてあったものを使い、フォトムービーに仕立てあげてみました。

 心静かに、ゆっくりとした気持ちで、春を味わっていただけると幸いです。

  桜 手嶌葵

ぼくらはきっと待ってる
君とまた会える日々を
桜並木のみちの上で
手を振り叫ぶよ

どんなに苦しい時も
君は笑っているから
くじけそうになりかけても
頑張れる気がしたよ
かすみゆく景色の中に
あの日の歌が聞こえる

さくら さくら 今咲きほこる
刹那に散りゆくさだめと知って
さらば友よ 旅立ちのとき
変わらないその想いを 今

今なら言えるだろうか
偽りのない言葉
輝ける君の未来を
願うほんとの言葉
移りゆく街はまるで
僕らをせかすように

さくら さくら ただ舞い落ちる
いつか生まれ変わる時を信じ
泣くな友よ 今 惜別のとき
飾らないあの笑顔で さあ

さくら さくら いざ舞い上がれ
永遠(とわ)にさんざめく光を浴びて
さらば友よ またこの場所で会おう
さくら舞い散るみちの
さくら舞い散るみちの上で


※関連過去記事もどうぞ♪ この時期の別れと出会いの素敵な歌♪

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☆『草笛の音』という話と【陰陽師的瞑想曲】

☆『瞑想』で本当に使えるもの、今回は特に【陰陽師的瞑想曲】で、静寂な心に誘われるものをご紹介したいと思います。  が、 その前に、なぜその【陰陽師的瞑想曲】をご紹介させていただこうと思った『動機』を少しばかり、お聞きいただければありがたいと思います。

 それが、『草笛の音』という話です。 お時間の許す方は、少し長文ですがしばしお付き合いくださいませ。m(_ _)m

 昔、あるところに大男がいた。 

 この大男は、身長は二メートル五十センチもあろうかという大男であった。 

 街の中を歩いても、だれもかれもがその大男の顔を見ては恐れおののき、そして家のなかに入っては閂(かんぬき)をかけ、窓の隙間からその大男が遠ざかってゆく姿を見ていた。

 その大男は、頭にターバンを巻き、腕に金の輪を巻き、体は赤銅色、腰から下には何とも言えないネズミ色のズボンをはいていた。そして足首には鉄の鎖がついていて、この大男がどこからともなく逃亡してきた者であるということを推定させた。

 この大男は、たいへん力が強く、馬の一頭、二頭をひきまわすのは当然のこと。木造建ての小さな家など、この大男が怪力を発揮すれば、たちまち壊されてしまうほどであった。動物たちも、この大男が通ると、いつ締め殺されるかと思って、悲鳴をあげては、逃げまどった。

 そこで、村の長老が協議をした。

 「あの大男を何とかできないものだろうか。何とか、あの大男の粗暴なはたらきを、やめさせることはできないだろうか」 そうやって、村の長老たちが三日三晩協議をしたが、なかなか結論が出なかった。

 そこで、「結論が出ないが、とりあえずあの大男を生け捕りにして、村から外に追い出すことに成功すれば、どうにかなるのではないか」そのように提案する長老がいた。

 他の者は、「なるほど、あの大男を生け捕りにして、村から出せば、確かに我らは安全であるが、ところで、その大男がまた帰ってきた時にはどうするのだ」

 「そういえば、帰ってくるとなると、いつ帰ってくるかわからぬが、それがまた心配の種になる」

 「しかして、その前に、どうやって彼を生け捕りにするのだ。生け捕りにするような勇気がある者がいるのか」そのように言う者もあった。

 「ウーン、それでは、大男が帰ってこないようにするためには、殺生の罪を犯すことにはなるが、ひと思いに彼を殺してしまったほうがいいだろうか」

 そうやって協議をしばらく続けた。あの大男をどうやって殺すのか。しかし、彼を殺そうとしても、もし、し損じたならば、大暴れされて、村人は何十人となく殺されるかもしれない。

 もし、弓矢で射たしても、あの鋼(はがめ)のような体に、ほんとうに矢が通るのかどうか定かではないし、もし矢が通ったとしても、そんなものではあの男はビクともしないかもしれない。

 また、何か罠(わな)をかけてつかまえるということもあるが、その罠を見破られた時に、また大変なことになる。

 いろいろ議論百出したが、どうしてもよい知恵が浮かばない。

 「困ったものだ」「困ったものだ」

 その時に、ある若い女性がその話を聞いていて、

 「私の意見がみなさまに聞いていただけるかどうかわかりませんが、実は、一つ名案がありますので、私の案を使わせていただけませんでしょうか」

 そのように、若い女性は話を切り出した。

 長老たちは意外な思いがした。 その若い女性が、どうやってあの大男を始末するというのだろうか。どう考えてもわからなかった。

 「いいえ、どうか私めにお任せください。必ず、明日以降、あの大男が粗暴なふるまいをしないようにしてみせます」

 「まあ、そうしてくれるならば、それに越したことはないが、どうしようが、皆の者」

 そして、長老たちは議論をして合ったが、ほかによい案もないので、とうとうその若い女性の意見を採用し、彼女に任せることとした。

 その若い女性には、小さな男の子が一人いて、その子はやっと五つになるぐらいの歳であった。この子はさほど取り柄もない子供であったが、一つだけ得意なものがあった。

 それは、草笛を吹くという技術であった。

 この賢く若い母親は、自分の子供の草笛によって、あの大男が必ずおとなしくなると考えたのだ。

 翌日、また街の外れから大男が、砂煙をあげて、ドッドッドッと街の中心に向かってやってきた。

 街の者どもはまた雨戸を閉めて、オロオロと家の中にこもっていた。

 今日は、どこに被害が出るか、だれが怪我(けが)をさせられるかと思って、恐れおののいていたが、その街のまんなかに、その母親と子供の二人だけが残った。

 広場に、二人の姿があって、それをうかがう者たちは、

 「だいじょうぶだろうか。若い女性と子供じゃないか。ひとたまりもないかもしれない。食べられてしまうのじゃないか」

 そう噂していた。 そこへ、鬼がと思うようなその大男がやってきた。 そして、まわりの者の予想通りその母親と子供につかみとろうとした。 みんなが固唾(かたず)を飲んで、

 「ああーっ、これは大変なことになる」

 と思って見ていたところが、母親は穏やかな顔で、右側にいる自分の子供にそっと頷(うなず)いた。

 すると、その子供は、ふところから草の葉を撮り出して、草笛を吹きはじめた。その「ピーヒョロ、ピーヒョロ」という音が、その大男には何ともいえない感情を抱かせた。

 「何だろう、この音色は。この音色は何だろう。ああーっ、この音色は懐かしい。どこかで私はこの音色を聞いた気がする。どこかでこの音色を聞いた覚えがある」

 その母親は見抜いていた。その大男はきっとインドのほうのたぶん身分のある人に仕えていた下僕に違いない。その身分ある人は、おそらく音楽を使って、この大男の、この凶暴な性格を穏やかにしていたに違いない。そう感じていたのだ。

 たしかに、大男は昔、逃亡してくる前は、ある若者に仕えていた。その若者は体こそ小さかったが、笛をじょうずに吹いて、その大男をいつもなだめていた。

 それゆえに、その大男は、しばらく聞いたことがない音色というものを、小さな男の子の草笛を通して感じ取ったのだった。 そして、自分が今までやってきたことを、ふと、ふり返った。すると、目から大粒の涙がハラハラ、ハラハラ、ハラハラ、ハラハラ、ポタポタ、ポタポタと落ちてきた。

 「小さな五歳の男の子の草笛に、あの大男が涙を流しているぞ」

 村人たちは驚いた。そして、

 「なんだなんだ。そんな悪者でもなかったのか。子供の草笛で涙を流すとは、そんな悪者ではなかったのか」と、おそるおそる雨戸をあけて、一人二人と集まってきた。 そして、村の広場は人びとでいっぱいになった。

 「そうか、この大男は何ひとついいところはないと思ったが、音楽を解する心があったのか。それでは、みんなでいっしょに、笛を吹いてみようじゃないか」村の笛を持ち寄って、皆の者が笛を吹いた。そうすると、大男は最初は涙を流していたが、次第しだいに陽気になり、まわりの者といっしょに踊るようになった。こうして、笛の音色ということを通して、大男の心の優しさが知れ、そしてまわりの者も安心感を得て、いっしょになかよく住めるようになったのだった。

 大男は、村を外敵から守り、そして村人たちは大男に笛を吹いてやることによって、彼の心を和ませた。こうして両者が平和に暮らしたと言う話だ。

 さて、以上のたとえ話で私が何を話したかったか、

 あなたがたにわかるだろうか。

 この大男と村人というのは、決して別々の人のことではない。

 

 実は、あなたがたの心のなかに住んでいる住人であるのだ。

  

 あなたがたの心のなかには、

 実はどうすることもできない粗暴な大男がおり、

 またその大男に対して、怯え、恐れおののく

 小心な自分というものがある。

 誰の心のなかにも、こうしたものはあるのだ。

 自分の心を統御しようとしても、

 どうしても欲望にひかれてゆく心があるはずだ。

 

 その欲望にひかれている心は、

  たとえば異性を見ては、心が狂い、

 金銭を見ては、心が狂い、

 また他人の持ち物を見ては、心が狂い、

 あるいは他の人が幸福になると聞いては、心穏やかではない。

 そうした荒れ狂う台風のように統御できないものが

 自分の中にあるはずだ。

   その統御できないものこそ、

 実はこのたとえ話に出てくる大男であるのだ。

 

 しかし、この統御できない大男も、

 かつて鎖(くさり)につながれていた時に、

 どこかの誰かに統御されてきた、

 支配されてきた、

 飼い慣らされてきたという、懐かしい気持ちが残っている。

 その懐かしい気持ちを想い起こさせたならば、

 その大男をおとなしくすることはできるのだ。


 それは、もっともっと力の弱い、小さな村人だと思われる者であっても、

 その大男を統御することができる。

 その通り---。 


 まず恐れというものをなくさねばならない。

  自分の心は自分の手に負えぬものだと思ってはならない。

  自分が自分ではないような、

 まったく魔に踊らされ、魔に自由にされるような、

  そんな自分であると思っていけない。

 

 自分は必ず、自分の心を統御できると思わなくてはならない。

 そして、統御する方法はというと、

 実は決して腕力によって統御するのではない。

  

 これが何を言っているのかわかるだろうか。

 

 それは、決して難行・苦行によって、

 自分の心を統御することができるわけではない、

 ということを言っているのだ。


 滝行をしたり、あるいは断食行をしたり、

 いろいろ難行・苦行があるが、難行・苦行によって、

 その心をなだめよう、心を統御しようとする試みは、

 弓矢を射かけたり、あるいは罠をしかけたりして、

 大男をなんとか取り押さえようとするのと同じで、

 かえって大男を凶暴にさせてしまうことになるだろう。

 心はいっそう自由にならなくなる。

  

 そうではない。

 

 もっと平和的で、

 もっと小さな気づきを用いて、

 もっと楽しい方法によって、

 心というもは統御できるのだ。

 

 つまり、私は、

 決して非凡な世界の中に悟りがというものがあるのではない、

 決して非凡な経験の中に悟りがというものがあるのではない、

 ということが言いたいのだ。

 日々の平凡な生活のなかに、実は悟りへのよすががある。

 実は、悟りへの道があるのだ。

 そして、平凡な日々のなかの、

 平凡な一日一日のなかの悟りとは、

 実は、ほんの小さな発見にあるということを私は言いたいのだ。

 

 ほんの小さな発見とは何であるか。

 それは、かつて、私たちが実在界・天上界にいた時に、

 知っていたところの音色だ。

 その音色を想い起こすということなのだ。

 私たちが悟りに到るためには、

 実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことなのだ。

 それが大事なのだ。

 

 実在界で味わっていた音色とは何であるか。

 それは、人に対する優しい気持ちでもあったであろう。

 人に対する祝福の気持ちでもあっただろう。

 また欲望を強くせず、足ることを知る心でもあっただろう。

 あるいは、ともに相和し、ともに協力しあい、

 ともに生かし合う姿であっただろう。

 限りなく透明感にあふれ、限りなく優しい、限りなく暖かい、

 そうした気持ちがあったのであろう。

 しかり、そのような世界こそが天国である。

 このように地上に降りて生きていても、

 この天国のことを思い出して、日々、生きることだ。

 天国の生活を、日々、想いにおいて描いて生きることだ。

 さすれば、その時に小さな小さな草笛を吹いていることになる。

 やすらぎの世界のことを常に想い描いて日々を生きることだ。

 

 その時に、大男は静まり、やがてあなたがたの敵ではなくなるだろう。

 あなたがたを味方し、あなたがたの思いのままに動いてくれる、

 大切な大切な力となるであろう。

  

 私は今、たいへん平凡なことを言った。

 平凡ななかに悟りの香りがあるという話をした。

 さて、ではこの成功の条件であるところの悟りの香り、

 魂が光っているとういう感覚と、

 忍耐ということはどういう関係にあるのか、わかるだろうか。

 

 すなわち、忍耐と成功とは、

 平凡という言葉によってつなぎ合わされることとなるのだ。

 非凡な毎日、非凡な生活のなかでは、

 忍耐というものは、それほど大きくはたらかないかも知れない。

 しかし、平凡な毎日を積み重ねてゆくということは、

 限りなく忍耐を要求されることであるのだ。

 

 平凡な毎日を送ってゆくということは、限りなく忍耐が必要となる。

 平凡な毎日を送りながら、

 その中で、天国の懐かしい情景をときおり心に想い巡らせて、

 そしてそれを理想と生きていくということは、

 絶えず困難で、絶えず難しい問題であると思える。

  

 しかし、こうした弛(たゆ)みない努力こそが、

 人をして、永遠に進歩させ続けるのだ。

 修行の過程において、一躍悟ることは難しい。

 

 一躍大いなる進歩をすることは難しい。

 一冊の本を読み上げることができなくとも、

 たとえ一行なりとも読み、

 今日は一歩前進したと思えるような毎日を積み重ねることが、

 実は大いなる未来を開いてゆくための鍵となるのだ。

 

 成功には、忍耐が必要で、

 忍耐を用いて成し遂げた成功は、

 決して他の人々の嫉妬をかうことはないであろう。

 

 それはその人が費やしたそれだけの努力が、

 他の人々の尊敬を受けるからである。

  このように忍耐を得られた成功には、必ず徳というものが光っている。

 

 この徳は、

 他人の嫉妬心や僻(ひが)みの心を完全に消し去るだけの解毒剤を有している。

 すべからく成功者は、このように、忍耐によって徳を身につけることが大事である。

 さすれば、必ずその努力は、

 報いがあって、しかも余りあるものとなるだろう。

 余得というものが生まれてくるにちがいない。

 私はそう思う。

 と、お釈迦様のたとえ話(仏陀再誕P221~242)ですが、その中で

 平凡な一日一日のなかの悟りとは、

 実は、ほんの小さな発見にあるということを私は言いたいのだ。

  ほんの小さな発見とは何であるか。

  それは、かつて、私たちが実在界・天上界にいた時に、

  知っていたところの音色だ。

  その音色を想い起こすということなのだ。

  私たちが悟りに到るためには、

  実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことなのだ。

  それが大事なのだ。

  とありました。 


  とむすけさんやはり 『反省→瞑想→祈り』大事ですよ。と、

 みなさんが教えてくださることもあり、実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことなのだ。とは、それを実際に継続していこうと思うならば、どうしても 『反省→瞑想→祈り』凡夫なりにも深めていく必要があると、強く感じさせていただいています。

 とはいっても、一躍という感じにはとうてい無理無理(>_<)なので、

 たとえば 『反省→瞑想→祈り』 の中の【瞑想】の時にその導入で、実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことできる心地よい調べというか、高次元波動(バイブレーション)の瞑想曲(何らかの笛)がほしいと思い、いろいろ探し試してみて考えるのですが、

 その中でも【陰陽師的瞑想曲】となると、心静かに集中しやすく心地良い感じ♪が強くする、映画陰陽師独奏の素敵な曲がよいだろうと選ばせていただいた次第です。

 すみません随分と前振りが長かったですが、結局はお気軽にお楽しみくだされば幸いです。(^o^) 

 また、この動画UPしてくださった方(作者に)に心より感謝いたします。m(_ _)m




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サプライズ 「海を抱きしめて」と「時代遅れの恋人たち」 

☆メリークリスマス♪ 今年もあとわずかとなりました。 この場をお借りして友人、知人、お客さま、ご近所さま、いろいろかかわりを持ってくださった皆様。 今年も本当にありがとうございました。 心より感謝いたしますm(_ _)m 

 去年のクリスマスは、☆メリークリスマス 前編  ☆メリークリスマス 後編 と、動画撮影して記事を書きましたが、気持ち的には何ら変わっていません。 

  今回は選挙応援で、動画撮影していたので時間がありませんでしたので申し訳けありません。(>_<)

 それでも何とか、今年も何か気持ちサプライズを提供させていただきたいところです♪

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 すでに、主は『未来の法』で明るい未来を指し示してくださっています。 当然、サプライズてんこもりで、来年も奇跡が続出することででしょう。 

 主よ、ありがとうございます。心より感謝いたします。m(_ _)m

 じっくり読み込んで、凡夫なりに頑張りますので、よろしくご指導をお願いします。

 チラ見しただけで、ニヤけてしまう感じです。

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 また、日本を救う陰陽師パワーの抜粋レジュメも作ってコツコツ勉強もしています。(^o^)

☆そうそう、今年は幸福の科学の映画が二本ありましたが、最初の「ファイナルジャッジメント」の挿入歌のPVがよくできていて、惹かれるので少しピックアップして話してみたいと思います。(^o^)


 映画ファイネルジャッジメントを、御覧になられた方しか分からないかも知れませんが、稟ちゃん(役)の揺れ動く心情を見事な表現で歌い上げていますね。(曲も、歌も、映像も素敵) 

 今後、世界各国で観られることを考えると、女性の『信仰ガール』といったような裾野を拡げる新ジャンルを作るくらいの強い影響を及ぼすと思います。

 これを観たら、男性も『信仰ボーイ』として(笑)、主役の鷲尾正悟、中岸憲三を理想のモデルとして、何らかの立派な真理体現者にならないといけない、いやいや、そうなりたい感じになりますね!

 現実にここまでハードな、信仰の真理の体現者にならないにしても、「霊的な自己」が五割を超えると、人生が変わると、繁栄思考(P105~106)にあります。

 『この「霊的な自己」を認識している割合が50%を超えると、人生が変わってきますし、周りにも、今までと違った現象が起きてくるようになります。 それは、その人の世界観が変わってきたことを意味しているのです。』

 というようなことくらいは、実体験させていただきたいものですねぇ♪

 鷲尾正悟、稟(リン)、中岸憲三は、当然、誰が観てもソウルメイトでそれぞれの使命を果たします。

 一般にソウルメイトというと大抵の女性は、ご自身のロマンチックなお相手を想像されるらしいのですが、広義では「人生の問題集」に深くかかわる問題となる人でもあるらしい(笑)ので、

 やはり、そこはできるだけ、少しでも認識を上げ、悟りを上げ、霊的知覚を磨き上げていきたいものですね。

 いずれにしてもこのような映画のようなシーンなんかは、常日頃しょっちゅうあるものではありませんから、もう少し一般的なごくふつうの日常に落ち着くのですが、

 たとえば、とむすけならロマンティクな話も皆無(苦笑)で、南海ラピートβやJRはるか号が、大好きだとか少年の延長を今だ超えないので、好きな歌に写真を使って動画をつくるとかしかネタがない。

 

 まあ、

 それが楽しいのですが(笑)。

 ということで、

 本日、急いで作りましたクリスマス用の特別サプライズです。(主のサプライズとは比較しないでね!)

 「ベストにこだわると次の一歩が踏み出せないことが多いので、『次善の策』で決断し、実現できないことは考えない。 実現の可能性が低いことがらについてあれこれ考えるのは時間の無駄。」

 というところからの発想で、とにかく手持ちの写真素材でチャチャッと作りました。笑

 お楽しみいただけると幸いです。m(_ _)m

 まずは、↓『海を抱きしめて』 (写真はすべてとむすけ撮影です)

 とむすけ自身の、今現在の心境には合わない歌詞かもしれませんが、一般的にはこうしたニーズは多いかも知れませんね。 

 ただ、海を抱きしめるという気持ち、海を眺めて癒される気持ち、大らかさが取り戻る気持ちは、十二分に体験させていただいています♪


  生まれて来なければ よかったなんて
    心が つぶやく日は
    人ごみに背を向け 会いに行くのさ
    なつかしい海に
    幼な児よりも ひたむきに
    遠い名前を呼んで
    汗ばむ心潮風が 洗うにまかせれば
    いつのまにか生きることが
    また好きになるぼくだよ

    誰かがぼくよりも まぶしく見えて
    心が うつむく時
    カモメの笑い声 聞きにいくのさ
    いつもの渚に
    なんて小さな 悲しみに
    ひとは つまずくのだろう
    船乗りたちがするように 海を抱きしめれば
    忘れかけた大らかさを
    またとり戻すぼくだよ

 そして、↓『時代遅れの恋人たち』 あらためていい年齢してきて思うことは、長い長い永遠の転生の今が、その過程の途中ですから、万一ロマンチックなソウルメイトがでてきたら、「純粋な思いでお互いに、こういうマインドでいられたらいいなぁ。」と、いうような勝手な願望(爆)ということで。(苦笑)

  手のひらに澄んだ水をすくって
  お前の喉に 流し込む
  そんな不器用で強くやさしい
  つながりは ないものか

  恋人よ 愛なんて 言葉は捨てろよ
  流行りの服も 生き方も 疲れるだけさ
  裸足で 青い草を踏みしめ
  この腕に かけて来い

  飛び上がって もいだ 青いリンゴを
  かわるがわるに かじり合う
  そんな飾らない だけど確かな
  つながりは ないものか

  恋人よ 愛なんて言葉は捨てろよ
  生まれたままの まごころを くれればいいさ
  かわりに誰も やれないものを
  その胸に 伝えよう

  恋人よ 愛なんて言葉は捨てろよ
  ざわめく街は 青ざめた人々ばかり
  迷わず熱く 肌を火照らせ
  この腕に かけて来い

 何らかのサプライズとなりましたら幸いです。

 御覧いただきまして、本当にありがとうございました。m(_ _)m 

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ファイナルジャッジメント テーマソング

☆題材として難しいテーマだと思うけれど、 胸にジーンと来る♪ とっても、今時でお洒落な歌に高度に昇華されていますよねぇ♪




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この時期の別れと出会いの素敵な歌♪

4月のこの時期(時季)に、広義の意味での何らかの節目の精神的な卒業があり、人との別れがあったり、また新たな出会いがある。 それに、ふさわしい素敵な歌を2曲選んでみました♪

 心地よい爽やかな2曲をお楽しみいただけたなら、幸いです。(*^_^*)

 ハナムケノ言葉は、とむすけが最近よく聴く歌姫さまの曲で、『その歌のジャンルの活動領域がとても広いので驚かされている』のですが、やはり、この系統のいい歌もあった。 みつけた! ということで選んでみました。

【ladies’ side】 ハナムケノ言葉  島谷ひとみ

 歓送の歌は、布施明さん、小椋桂さんも歌われていて、特に小椋桂さんの歌はよく聴く方なので、それを選ぶのもいいけど、あたり前によすぎるので、中西保志さんの歓送の歌を選んでみました。 これはこれで爽やかな歌い方が、とてもいいですね。  

【men’s side】 歓送の歌 中西保志

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