映画・テレビ

ミッキーの日曜日

☆以前FB(フェイスブック)に、今日のミッキー&ミニー。  「ミッキーの日曜日 Puppy Love 19330902」  昔の単純シンプルなモノクロ作品が楽しい。 この作品は極めて『両性の法則』(ヘルメスの7法則のひとつ)が働いている感じだ。(笑)

 典型的な最後がハッピーエンドなオチ 

 と、書きました。(笑)


 いつもながらのハイテンションでうらやましい限りでありますが(笑)

 タイトルの『ミッキーの日曜日 Puppy Love』どおり、ミッキー&ミニーの間柄を、初期の白黒短編で一番よく表しているであろう動画と思われます。

 今回は、単にミッキー&ミニーの「恋愛の感情」表現が「かわいい~♪」と、とらえる見方や感情移入する感じ以外の、もう一段上の『両性の法則』(ヘルメスの7法則のひとつ)で、+(プラス)エネルギー&-(マイナス)エネルギーをどのように使えば有効か、少しばかり考えてみたいと思います。

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                     図解 ザ・メタシークレットP66

 現代の陰陽道(結界論等)を凡夫なりにも少しづつ学んでいくと、陰陽で表される「表裏一体」であるような、二元論的思考が知らず知らずに身について来るようなのですが、その二元論的思考のひとつに『両性の法則』(ヘルメスの7法則のひとつ)あり、 

 どうも、すぐれたリーダーほど+のエネルギー&-のエネルギーを、シームレスで実に巧みに使い分け有効に活用されているように思います。

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                     図解 ザ・メタシークレットP67  

 プレアデスのウォルト・ディズニーも、実はこうした法則を十分に熟知された上で+のミッキーと-のミニーを登場させているのだろうと思いますね。

 

 以下、図解 ザ・メタシークレットP66~67抜粋引用

 男性エネルギーは、外向的で宇宙に放出されます。 一方、女性エネルギーは、バッテリーが上がってしまった時に使うブースターコードのように働きます。 


 プラスの男性性は常にはねつけ、マイナスの女性性は常に引き寄せます。 

 プラスが良いことを意味し、マイナスが悪いことを意味するわけではありません。 

 
ヘルメス派の人々は、エネルギーのマイナスの流れを女性性と呼びました。それは、女性が新しい命を創造する役割を持つ創造の源だからです。

 『両性の法則』は、宇宙のすべての創造物が持つバランス体系です。

 
ヘルメス派の人々は、これを推し進め、人間の精神を男性エネルギーと女性エネルギーに分けました。

 
「Meエネルギー」は、私たちの感情、癖、気分などを表す女性エネルギーです。

 
「Iエネルギー」は、私たちの欲求や欲望を表す男性エネルギーです。

 両方が目的のために働きますが、片方だけではどちらも任務を成し遂げることはできません。

 この過程をよく見てみると、私たちは何事を達成するにも、この
「Meエネルギー」がアイディアを出し、「Iエネルギー」が行動に出ます。

 
「Meエネルギー」は、あなたの今の気持ちをつくっています。そして、「Iエネルギー」は今の気持ちを軸にして、気分を上げたり下げたりしているのです。

 法則性で客観的にものを見ると、「そういわれてみればなるほど…。」ということが多いですねぇ。 プレアデスの人々のように『両性の法則』(ヘルメスの7法則のひとつ)上手に使いこなせるようになりたいものですね。

 そしてヘルメス的なるもの(心の法則)、そう感じさせるもの、匂わせるものも、できるだけ学びつくしてみたいものですね。

 

 今回も御覧いただきましてありがとうございます。 心より感謝いたします。m(_ _)m

 ※過去記事参照 この音楽をどう役立てるのか?

  つづく。

 

 


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ミッキーの二挺拳銃

☆今のカラー長編ミッキー作品より、昔の『短編モノクロ作品』がとても面白く、時間も7~8分長くても10分程度で完結するので、仕事の合間でも休み時間を使って「動画」で観る楽しみを与えてくれている。

 やはり、カラー作品はその色に目が行くものなので、その点モノクロ(白黒)は作品の内容や本質(精神)に集中しやすく、さらに初期の短編となると、なおさらウォル・トディズニーご本人のその当時の息づかいまで分かるような感じがする。

 それは企画制作だけでなく、ミッキーの声の出演も、ウォルト・ディズニーご本人がなさっているから、なおさらである。(笑)

 昔の『短編モノクロ作品』を次々笑いながら観ていって分かったことは、やはり、ミッキーのみ登場する作品よりも、ミッキー&ミニーが登場する作品が断然面白く老若男女問わず楽しめると思う。 また、両性の法則(ヘルメスの7法則のひとつ)で考えても非常に有効で、より多くのファンを獲得し世界で1番愛されるキャラクターの王様と言われるゆえんであろうと思われる。

 ミッキーにとればミニーは永遠の恋人で、夫婦とかではなく『永遠の恋人』であるから、いつでも色あせない夢のワクワクのイメージを、愛を人に与え続けることができるのかも知れないなと、最近思うようになった。 特にマーセリート・ガーナーさんのミニーの声が非常にマッチして、ミッキーとのかけあいに躍動感を感じて、感情表現が非常に豊かであると思う。

 そんななか、1番ミッキーがカッコイイと思われる作品(とむすけが勝手に思っているだけですが…)、ミッキーの二挺拳銃 Two Gun Mickeyを御覧いただければ幸いです。

 今回も御覧いただきましてありがとうございます。 心より感謝いたします。m(_ _)m

 つづく。

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尖閣ロックを観に行って来ました。

『尖閣ロック』を観に、十三(じゅうそう)のシアターセブンに行ってきました。 平成25年7月24日(水) 

 阪急梅田駅から電車に乗ると十三駅は間違いなく120%通りますが、十三駅で降りたことは過去ほとんどなく、デジカメ(GRDⅣ)を持って歩くのは、今日がはじめてです。(笑)

 事前に住所&アクセスの動画を見るかぎり、↓黄色い大きなボーリングピンのあるところのようですね。

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  やはり、住所&アクセスの動画のとおりでした。 早速、エレベーターで5Fへ。

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 チケットを↑購入しましたぁ~。 この27、28日の土日には↑↓TOKUMAさんが来られるみたいですね!

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 ↑↓これがチラシですね。

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 尖閣ロックグッズも販売↑されていて、映画を観たあと映画パンフと、尖閣ロック-自分の国は自分で守れ-↓日本手拭いを記念に購入。

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 少し映画パンフをチラ見してみますね…。

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 ↑おお、田母神俊雄さんの感想が…。

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 ↑あらすじは…。

 うちのお客様は、気骨のある保守の方が多いので、このパンフを見せながら愛国心を厚く語りたいと思う。 尖閣ロック!話では聞いていたが、こうしてドキュメンタリー映画にされると非常に分かりやすく理解ができた。 

 同行取材の園田映人監督はTOKMAさんと福沢峰洋さんのやりとりや、周りの様子や時々刻々と変化する心の内をみごとにとらえて、そして編集では変に熱く脚色することなく観る者を飽きさせもせず、素直に愛国心、命懸け、公の心、自分の国は自分で守る、男の気概とは何かをそっと教えてくれる内容となっていて、安心して落ち着いて観ることができた。

 英霊に菊の花を献花するシーン~海に飛び込むシーンには涙しました…。 まさに、『天意が働いてここまでに到ったのだ!』という感じが強く感動しました。 

  今回も御覧いただきまして、誠にありがとうございます。 心より感謝いたします。m(_ _)m

 つづく。(その後十三、中津あたりを少しGRDⅣで撮りましたが、今ちょっと忙しいので、時間がとれれば記事をUPしたいと思います。 しました。笑)

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☆『草笛の音』という話と【陰陽師的瞑想曲】

☆『瞑想』で本当に使えるもの、今回は特に【陰陽師的瞑想曲】で、静寂な心に誘われるものをご紹介したいと思います。  が、 その前に、なぜその【陰陽師的瞑想曲】をご紹介させていただこうと思った『動機』を少しばかり、お聞きいただければありがたいと思います。

 それが、『草笛の音』という話です。 お時間の許す方は、少し長文ですがしばしお付き合いくださいませ。m(_ _)m

 昔、あるところに大男がいた。 

 この大男は、身長は二メートル五十センチもあろうかという大男であった。 

 街の中を歩いても、だれもかれもがその大男の顔を見ては恐れおののき、そして家のなかに入っては閂(かんぬき)をかけ、窓の隙間からその大男が遠ざかってゆく姿を見ていた。

 その大男は、頭にターバンを巻き、腕に金の輪を巻き、体は赤銅色、腰から下には何とも言えないネズミ色のズボンをはいていた。そして足首には鉄の鎖がついていて、この大男がどこからともなく逃亡してきた者であるということを推定させた。

 この大男は、たいへん力が強く、馬の一頭、二頭をひきまわすのは当然のこと。木造建ての小さな家など、この大男が怪力を発揮すれば、たちまち壊されてしまうほどであった。動物たちも、この大男が通ると、いつ締め殺されるかと思って、悲鳴をあげては、逃げまどった。

 そこで、村の長老が協議をした。

 「あの大男を何とかできないものだろうか。何とか、あの大男の粗暴なはたらきを、やめさせることはできないだろうか」 そうやって、村の長老たちが三日三晩協議をしたが、なかなか結論が出なかった。

 そこで、「結論が出ないが、とりあえずあの大男を生け捕りにして、村から外に追い出すことに成功すれば、どうにかなるのではないか」そのように提案する長老がいた。

 他の者は、「なるほど、あの大男を生け捕りにして、村から出せば、確かに我らは安全であるが、ところで、その大男がまた帰ってきた時にはどうするのだ」

 「そういえば、帰ってくるとなると、いつ帰ってくるかわからぬが、それがまた心配の種になる」

 「しかして、その前に、どうやって彼を生け捕りにするのだ。生け捕りにするような勇気がある者がいるのか」そのように言う者もあった。

 「ウーン、それでは、大男が帰ってこないようにするためには、殺生の罪を犯すことにはなるが、ひと思いに彼を殺してしまったほうがいいだろうか」

 そうやって協議をしばらく続けた。あの大男をどうやって殺すのか。しかし、彼を殺そうとしても、もし、し損じたならば、大暴れされて、村人は何十人となく殺されるかもしれない。

 もし、弓矢で射たしても、あの鋼(はがめ)のような体に、ほんとうに矢が通るのかどうか定かではないし、もし矢が通ったとしても、そんなものではあの男はビクともしないかもしれない。

 また、何か罠(わな)をかけてつかまえるということもあるが、その罠を見破られた時に、また大変なことになる。

 いろいろ議論百出したが、どうしてもよい知恵が浮かばない。

 「困ったものだ」「困ったものだ」

 その時に、ある若い女性がその話を聞いていて、

 「私の意見がみなさまに聞いていただけるかどうかわかりませんが、実は、一つ名案がありますので、私の案を使わせていただけませんでしょうか」

 そのように、若い女性は話を切り出した。

 長老たちは意外な思いがした。 その若い女性が、どうやってあの大男を始末するというのだろうか。どう考えてもわからなかった。

 「いいえ、どうか私めにお任せください。必ず、明日以降、あの大男が粗暴なふるまいをしないようにしてみせます」

 「まあ、そうしてくれるならば、それに越したことはないが、どうしようが、皆の者」

 そして、長老たちは議論をして合ったが、ほかによい案もないので、とうとうその若い女性の意見を採用し、彼女に任せることとした。

 その若い女性には、小さな男の子が一人いて、その子はやっと五つになるぐらいの歳であった。この子はさほど取り柄もない子供であったが、一つだけ得意なものがあった。

 それは、草笛を吹くという技術であった。

 この賢く若い母親は、自分の子供の草笛によって、あの大男が必ずおとなしくなると考えたのだ。

 翌日、また街の外れから大男が、砂煙をあげて、ドッドッドッと街の中心に向かってやってきた。

 街の者どもはまた雨戸を閉めて、オロオロと家の中にこもっていた。

 今日は、どこに被害が出るか、だれが怪我(けが)をさせられるかと思って、恐れおののいていたが、その街のまんなかに、その母親と子供の二人だけが残った。

 広場に、二人の姿があって、それをうかがう者たちは、

 「だいじょうぶだろうか。若い女性と子供じゃないか。ひとたまりもないかもしれない。食べられてしまうのじゃないか」

 そう噂していた。 そこへ、鬼がと思うようなその大男がやってきた。 そして、まわりの者の予想通りその母親と子供につかみとろうとした。 みんなが固唾(かたず)を飲んで、

 「ああーっ、これは大変なことになる」

 と思って見ていたところが、母親は穏やかな顔で、右側にいる自分の子供にそっと頷(うなず)いた。

 すると、その子供は、ふところから草の葉を撮り出して、草笛を吹きはじめた。その「ピーヒョロ、ピーヒョロ」という音が、その大男には何ともいえない感情を抱かせた。

 「何だろう、この音色は。この音色は何だろう。ああーっ、この音色は懐かしい。どこかで私はこの音色を聞いた気がする。どこかでこの音色を聞いた覚えがある」

 その母親は見抜いていた。その大男はきっとインドのほうのたぶん身分のある人に仕えていた下僕に違いない。その身分ある人は、おそらく音楽を使って、この大男の、この凶暴な性格を穏やかにしていたに違いない。そう感じていたのだ。

 たしかに、大男は昔、逃亡してくる前は、ある若者に仕えていた。その若者は体こそ小さかったが、笛をじょうずに吹いて、その大男をいつもなだめていた。

 それゆえに、その大男は、しばらく聞いたことがない音色というものを、小さな男の子の草笛を通して感じ取ったのだった。 そして、自分が今までやってきたことを、ふと、ふり返った。すると、目から大粒の涙がハラハラ、ハラハラ、ハラハラ、ハラハラ、ポタポタ、ポタポタと落ちてきた。

 「小さな五歳の男の子の草笛に、あの大男が涙を流しているぞ」

 村人たちは驚いた。そして、

 「なんだなんだ。そんな悪者でもなかったのか。子供の草笛で涙を流すとは、そんな悪者ではなかったのか」と、おそるおそる雨戸をあけて、一人二人と集まってきた。 そして、村の広場は人びとでいっぱいになった。

 「そうか、この大男は何ひとついいところはないと思ったが、音楽を解する心があったのか。それでは、みんなでいっしょに、笛を吹いてみようじゃないか」村の笛を持ち寄って、皆の者が笛を吹いた。そうすると、大男は最初は涙を流していたが、次第しだいに陽気になり、まわりの者といっしょに踊るようになった。こうして、笛の音色ということを通して、大男の心の優しさが知れ、そしてまわりの者も安心感を得て、いっしょになかよく住めるようになったのだった。

 大男は、村を外敵から守り、そして村人たちは大男に笛を吹いてやることによって、彼の心を和ませた。こうして両者が平和に暮らしたと言う話だ。

 さて、以上のたとえ話で私が何を話したかったか、

 あなたがたにわかるだろうか。

 この大男と村人というのは、決して別々の人のことではない。

 

 実は、あなたがたの心のなかに住んでいる住人であるのだ。

  

 あなたがたの心のなかには、

 実はどうすることもできない粗暴な大男がおり、

 またその大男に対して、怯え、恐れおののく

 小心な自分というものがある。

 誰の心のなかにも、こうしたものはあるのだ。

 自分の心を統御しようとしても、

 どうしても欲望にひかれてゆく心があるはずだ。

 

 その欲望にひかれている心は、

  たとえば異性を見ては、心が狂い、

 金銭を見ては、心が狂い、

 また他人の持ち物を見ては、心が狂い、

 あるいは他の人が幸福になると聞いては、心穏やかではない。

 そうした荒れ狂う台風のように統御できないものが

 自分の中にあるはずだ。

   その統御できないものこそ、

 実はこのたとえ話に出てくる大男であるのだ。

 

 しかし、この統御できない大男も、

 かつて鎖(くさり)につながれていた時に、

 どこかの誰かに統御されてきた、

 支配されてきた、

 飼い慣らされてきたという、懐かしい気持ちが残っている。

 その懐かしい気持ちを想い起こさせたならば、

 その大男をおとなしくすることはできるのだ。


 それは、もっともっと力の弱い、小さな村人だと思われる者であっても、

 その大男を統御することができる。

 その通り---。 


 まず恐れというものをなくさねばならない。

  自分の心は自分の手に負えぬものだと思ってはならない。

  自分が自分ではないような、

 まったく魔に踊らされ、魔に自由にされるような、

  そんな自分であると思っていけない。

 

 自分は必ず、自分の心を統御できると思わなくてはならない。

 そして、統御する方法はというと、

 実は決して腕力によって統御するのではない。

  

 これが何を言っているのかわかるだろうか。

 

 それは、決して難行・苦行によって、

 自分の心を統御することができるわけではない、

 ということを言っているのだ。


 滝行をしたり、あるいは断食行をしたり、

 いろいろ難行・苦行があるが、難行・苦行によって、

 その心をなだめよう、心を統御しようとする試みは、

 弓矢を射かけたり、あるいは罠をしかけたりして、

 大男をなんとか取り押さえようとするのと同じで、

 かえって大男を凶暴にさせてしまうことになるだろう。

 心はいっそう自由にならなくなる。

  

 そうではない。

 

 もっと平和的で、

 もっと小さな気づきを用いて、

 もっと楽しい方法によって、

 心というもは統御できるのだ。

 

 つまり、私は、

 決して非凡な世界の中に悟りがというものがあるのではない、

 決して非凡な経験の中に悟りがというものがあるのではない、

 ということが言いたいのだ。

 日々の平凡な生活のなかに、実は悟りへのよすががある。

 実は、悟りへの道があるのだ。

 そして、平凡な日々のなかの、

 平凡な一日一日のなかの悟りとは、

 実は、ほんの小さな発見にあるということを私は言いたいのだ。

 

 ほんの小さな発見とは何であるか。

 それは、かつて、私たちが実在界・天上界にいた時に、

 知っていたところの音色だ。

 その音色を想い起こすということなのだ。

 私たちが悟りに到るためには、

 実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことなのだ。

 それが大事なのだ。

 

 実在界で味わっていた音色とは何であるか。

 それは、人に対する優しい気持ちでもあったであろう。

 人に対する祝福の気持ちでもあっただろう。

 また欲望を強くせず、足ることを知る心でもあっただろう。

 あるいは、ともに相和し、ともに協力しあい、

 ともに生かし合う姿であっただろう。

 限りなく透明感にあふれ、限りなく優しい、限りなく暖かい、

 そうした気持ちがあったのであろう。

 しかり、そのような世界こそが天国である。

 このように地上に降りて生きていても、

 この天国のことを思い出して、日々、生きることだ。

 天国の生活を、日々、想いにおいて描いて生きることだ。

 さすれば、その時に小さな小さな草笛を吹いていることになる。

 やすらぎの世界のことを常に想い描いて日々を生きることだ。

 

 その時に、大男は静まり、やがてあなたがたの敵ではなくなるだろう。

 あなたがたを味方し、あなたがたの思いのままに動いてくれる、

 大切な大切な力となるであろう。

  

 私は今、たいへん平凡なことを言った。

 平凡ななかに悟りの香りがあるという話をした。

 さて、ではこの成功の条件であるところの悟りの香り、

 魂が光っているとういう感覚と、

 忍耐ということはどういう関係にあるのか、わかるだろうか。

 

 すなわち、忍耐と成功とは、

 平凡という言葉によってつなぎ合わされることとなるのだ。

 非凡な毎日、非凡な生活のなかでは、

 忍耐というものは、それほど大きくはたらかないかも知れない。

 しかし、平凡な毎日を積み重ねてゆくということは、

 限りなく忍耐を要求されることであるのだ。

 

 平凡な毎日を送ってゆくということは、限りなく忍耐が必要となる。

 平凡な毎日を送りながら、

 その中で、天国の懐かしい情景をときおり心に想い巡らせて、

 そしてそれを理想と生きていくということは、

 絶えず困難で、絶えず難しい問題であると思える。

  

 しかし、こうした弛(たゆ)みない努力こそが、

 人をして、永遠に進歩させ続けるのだ。

 修行の過程において、一躍悟ることは難しい。

 

 一躍大いなる進歩をすることは難しい。

 一冊の本を読み上げることができなくとも、

 たとえ一行なりとも読み、

 今日は一歩前進したと思えるような毎日を積み重ねることが、

 実は大いなる未来を開いてゆくための鍵となるのだ。

 

 成功には、忍耐が必要で、

 忍耐を用いて成し遂げた成功は、

 決して他の人々の嫉妬をかうことはないであろう。

 

 それはその人が費やしたそれだけの努力が、

 他の人々の尊敬を受けるからである。

  このように忍耐を得られた成功には、必ず徳というものが光っている。

 

 この徳は、

 他人の嫉妬心や僻(ひが)みの心を完全に消し去るだけの解毒剤を有している。

 すべからく成功者は、このように、忍耐によって徳を身につけることが大事である。

 さすれば、必ずその努力は、

 報いがあって、しかも余りあるものとなるだろう。

 余得というものが生まれてくるにちがいない。

 私はそう思う。

 と、お釈迦様のたとえ話(仏陀再誕P221~242)ですが、その中で

 平凡な一日一日のなかの悟りとは、

 実は、ほんの小さな発見にあるということを私は言いたいのだ。

  ほんの小さな発見とは何であるか。

  それは、かつて、私たちが実在界・天上界にいた時に、

  知っていたところの音色だ。

  その音色を想い起こすということなのだ。

  私たちが悟りに到るためには、

  実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことなのだ。

  それが大事なのだ。

  とありました。 


  とむすけさんやはり 『反省→瞑想→祈り』大事ですよ。と、

 みなさんが教えてくださることもあり、実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことなのだ。とは、それを実際に継続していこうと思うならば、どうしても 『反省→瞑想→祈り』凡夫なりにも深めていく必要があると、強く感じさせていただいています。

 とはいっても、一躍という感じにはとうてい無理無理(>_<)なので、

 たとえば 『反省→瞑想→祈り』 の中の【瞑想】の時にその導入で、実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことできる心地よい調べというか、高次元波動(バイブレーション)の瞑想曲(何らかの笛)がほしいと思い、いろいろ探し試してみて考えるのですが、

 その中でも【陰陽師的瞑想曲】となると、心静かに集中しやすく心地良い感じ♪が強くする、映画陰陽師独奏の素敵な曲がよいだろうと選ばせていただいた次第です。

 すみません随分と前振りが長かったですが、結局はお気軽にお楽しみくだされば幸いです。(^o^) 

 また、この動画UPしてくださった方(作者に)に心より感謝いたします。m(_ _)m




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サプライズ 「海を抱きしめて」と「時代遅れの恋人たち」 

☆メリークリスマス♪ 今年もあとわずかとなりました。 この場をお借りして友人、知人、お客さま、ご近所さま、いろいろかかわりを持ってくださった皆様。 今年も本当にありがとうございました。 心より感謝いたしますm(_ _)m 

 去年のクリスマスは、☆メリークリスマス 前編  ☆メリークリスマス 後編 と、動画撮影して記事を書きましたが、気持ち的には何ら変わっていません。 

  今回は選挙応援で、動画撮影していたので時間がありませんでしたので申し訳けありません。(>_<)

 それでも何とか、今年も何か気持ちサプライズを提供させていただきたいところです♪

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 すでに、主は『未来の法』で明るい未来を指し示してくださっています。 当然、サプライズてんこもりで、来年も奇跡が続出することででしょう。 

 主よ、ありがとうございます。心より感謝いたします。m(_ _)m

 じっくり読み込んで、凡夫なりに頑張りますので、よろしくご指導をお願いします。

 チラ見しただけで、ニヤけてしまう感じです。

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 また、日本を救う陰陽師パワーの抜粋レジュメも作ってコツコツ勉強もしています。(^o^)

☆そうそう、今年は幸福の科学の映画が二本ありましたが、最初の「ファイナルジャッジメント」の挿入歌のPVがよくできていて、惹かれるので少しピックアップして話してみたいと思います。(^o^)


 映画ファイネルジャッジメントを、御覧になられた方しか分からないかも知れませんが、稟ちゃん(役)の揺れ動く心情を見事な表現で歌い上げていますね。(曲も、歌も、映像も素敵) 

 今後、世界各国で観られることを考えると、女性の『信仰ガール』といったような裾野を拡げる新ジャンルを作るくらいの強い影響を及ぼすと思います。

 これを観たら、男性も『信仰ボーイ』として(笑)、主役の鷲尾正悟、中岸憲三を理想のモデルとして、何らかの立派な真理体現者にならないといけない、いやいや、そうなりたい感じになりますね!

 現実にここまでハードな、信仰の真理の体現者にならないにしても、「霊的な自己」が五割を超えると、人生が変わると、繁栄思考(P105~106)にあります。

 『この「霊的な自己」を認識している割合が50%を超えると、人生が変わってきますし、周りにも、今までと違った現象が起きてくるようになります。 それは、その人の世界観が変わってきたことを意味しているのです。』

 というようなことくらいは、実体験させていただきたいものですねぇ♪

 鷲尾正悟、稟(リン)、中岸憲三は、当然、誰が観てもソウルメイトでそれぞれの使命を果たします。

 一般にソウルメイトというと大抵の女性は、ご自身のロマンチックなお相手を想像されるらしいのですが、広義では「人生の問題集」に深くかかわる問題となる人でもあるらしい(笑)ので、

 やはり、そこはできるだけ、少しでも認識を上げ、悟りを上げ、霊的知覚を磨き上げていきたいものですね。

 いずれにしてもこのような映画のようなシーンなんかは、常日頃しょっちゅうあるものではありませんから、もう少し一般的なごくふつうの日常に落ち着くのですが、

 たとえば、とむすけならロマンティクな話も皆無(苦笑)で、南海ラピートβやJRはるか号が、大好きだとか少年の延長を今だ超えないので、好きな歌に写真を使って動画をつくるとかしかネタがない。

 

 まあ、

 それが楽しいのですが(笑)。

 ということで、

 本日、急いで作りましたクリスマス用の特別サプライズです。(主のサプライズとは比較しないでね!)

 「ベストにこだわると次の一歩が踏み出せないことが多いので、『次善の策』で決断し、実現できないことは考えない。 実現の可能性が低いことがらについてあれこれ考えるのは時間の無駄。」

 というところからの発想で、とにかく手持ちの写真素材でチャチャッと作りました。笑

 お楽しみいただけると幸いです。m(_ _)m

 まずは、↓『海を抱きしめて』 (写真はすべてとむすけ撮影です)

 とむすけ自身の、今現在の心境には合わない歌詞かもしれませんが、一般的にはこうしたニーズは多いかも知れませんね。 

 ただ、海を抱きしめるという気持ち、海を眺めて癒される気持ち、大らかさが取り戻る気持ちは、十二分に体験させていただいています♪


  生まれて来なければ よかったなんて
    心が つぶやく日は
    人ごみに背を向け 会いに行くのさ
    なつかしい海に
    幼な児よりも ひたむきに
    遠い名前を呼んで
    汗ばむ心潮風が 洗うにまかせれば
    いつのまにか生きることが
    また好きになるぼくだよ

    誰かがぼくよりも まぶしく見えて
    心が うつむく時
    カモメの笑い声 聞きにいくのさ
    いつもの渚に
    なんて小さな 悲しみに
    ひとは つまずくのだろう
    船乗りたちがするように 海を抱きしめれば
    忘れかけた大らかさを
    またとり戻すぼくだよ

 そして、↓『時代遅れの恋人たち』 あらためていい年齢してきて思うことは、長い長い永遠の転生の今が、その過程の途中ですから、万一ロマンチックなソウルメイトがでてきたら、「純粋な思いでお互いに、こういうマインドでいられたらいいなぁ。」と、いうような勝手な願望(爆)ということで。(苦笑)

  手のひらに澄んだ水をすくって
  お前の喉に 流し込む
  そんな不器用で強くやさしい
  つながりは ないものか

  恋人よ 愛なんて 言葉は捨てろよ
  流行りの服も 生き方も 疲れるだけさ
  裸足で 青い草を踏みしめ
  この腕に かけて来い

  飛び上がって もいだ 青いリンゴを
  かわるがわるに かじり合う
  そんな飾らない だけど確かな
  つながりは ないものか

  恋人よ 愛なんて言葉は捨てろよ
  生まれたままの まごころを くれればいいさ
  かわりに誰も やれないものを
  その胸に 伝えよう

  恋人よ 愛なんて言葉は捨てろよ
  ざわめく街は 青ざめた人々ばかり
  迷わず熱く 肌を火照らせ
  この腕に かけて来い

 何らかのサプライズとなりましたら幸いです。

 御覧いただきまして、本当にありがとうございました。m(_ _)m 

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☆映画「神秘の法」

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☆大阪平野支部でいただいてきた映画『神秘の法』のポスターを貼り、前回の映画ファイナルジャッジメント同様、安倍晴明神社にお参りし、映画の大成功をお祈りしてきました。(^o^) 

 今回は大阪正心館で試写を観る機会をいただけましたので、ごくごく個人的には木花開耶姫様ご登場の甘樫丘の桜咲く風景に馴染みがあり、

 ああ、ここの甘樫丘の磁場(癒しやパワースポット)は、「木花開耶姫様の霊界に繋がっているのかもしれないな」と思い、とても嬉しい気持ちになれました♪

 映画全般としては『木花貝耶姫様はじめ日本神道の神々が、日本の国をこのようにして護って下さっているのかぁ』という霊的背景が、とてもよく分かりました。

  ありがたいかぎりです。 神々に心より感謝いたします。m(_ _)m

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☆「映画『ファイナル・ジャッジメント』の魅力に迫る」 幸福実現TV 第66回



 このままだと、日本は占領されてしまいますよ!という。

 『本気で警鐘を鳴らしているという気概の表れ!』

 ※この動画では、 このポイントが特に大事  に思われますね! 是非、クリックして御覧下さいませ!!

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ファイナルジャッジメント テーマソング

☆題材として難しいテーマだと思うけれど、 胸にジーンと来る♪ とっても、今時でお洒落な歌に高度に昇華されていますよねぇ♪




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☆ファイナルジャッジメント JR天王寺駅北口 街頭キャンペーン

☆ファイナルジャッジメント JR天王寺駅北口 街頭キャンペーン  平成24年5月6日 幸福の科学大阪平野支部のみなさまのご活躍です♪ (カメラはソニーCX180に広角コンバージョンレンズ付です。)



 ※編集にあたり、ピカソ霊示集(大川隆法霊言全集第39巻)のP266 松尾芭蕉先生の一節 

 『私は真実、自分の心を動かしたものを詠み込んで、いきたい。このように思うし、句の中に、やはり自分の魂というものが、どこかになければやはり句は空しい』とあるように、 

 句(俳句)を写真やVTR表現形式に読みかえて、心して撮影、編集に臨んだ。
 願わくば、松尾芭蕉先生のように
嘘のない真実の動画でありたいと切に願う。

 常日頃、私はマズゴミ(虚飾のかたまり)を痛烈に批判するが、それは『批判の為の批判』であってはならない。

 世の中を少しでも、本当に真剣に明るく照らそうとする、このような幸福の科学の大阪平野支部の方々のこうしたご努力を、その気持ちを汲み、一切無駄にしたくはないと思う。

 ピカソ霊示集の芸術系の神々に、主エルカンターレに、こうした貴重な機会を賜り、心より感謝いたします。m(_ _)m

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☆ファイナルジャッジメントPR 王子本通商店街 あべの王子商店街

☆映画ファイナルジャッジメントのPRを、幸福の科学大阪平野支部のみなさんが、

 地元の「王子本通商店街」「あべの王子商店街」を桃太郎するということで、急遽、動画撮影取材(個人的に)をさせていただきました♪ 

 撮影日は平成24年5月4日(金) カメラは、パナソニックGH1+7~14mmレンズです。

 桃太郎終了後に安倍晴明神社に、映画『ファイナルジャッジメント』の大大成功祈念の参拝をさせていただき、日頃は引かないおみくじ(今回は皆さんと一緒に引くことになった)を引いて、なんと一番大吉が出ましたぁ♪

  よろこび感よりも、何か身が引き締まる思いがいたします。

 ありがたいことですね。 安倍晴明公ご指導、本当にありがとうございます。

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 ※過去の一番大吉のおみくじを引いたフォトログ記事は、京都 鴨川散歩♪(上賀茂神社編)があります。

  ※過去記事参照 ☆ファイナルジャッジメント予告編

 賀茂光栄さまはじめ、賀茂一族さま方、プレアデスのみなさま方、いつも変わらぬご支援、ご指導を賜り、ありがとうございます。

 主エルカンターレよ、度重なる貴重な体験のご指導賜り、 誠にありがとうございました。 心より感謝いたします。m(_ _)m

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