文化・芸術

ミッキーの日曜日

☆以前FB(フェイスブック)に、今日のミッキー&ミニー。  「ミッキーの日曜日 Puppy Love 19330902」  昔の単純シンプルなモノクロ作品が楽しい。 この作品は極めて『両性の法則』(ヘルメスの7法則のひとつ)が働いている感じだ。(笑)

 典型的な最後がハッピーエンドなオチ 

 と、書きました。(笑)


 いつもながらのハイテンションでうらやましい限りでありますが(笑)

 タイトルの『ミッキーの日曜日 Puppy Love』どおり、ミッキー&ミニーの間柄を、初期の白黒短編で一番よく表しているであろう動画と思われます。

 今回は、単にミッキー&ミニーの「恋愛の感情」表現が「かわいい~♪」と、とらえる見方や感情移入する感じ以外の、もう一段上の『両性の法則』(ヘルメスの7法則のひとつ)で、+(プラス)エネルギー&-(マイナス)エネルギーをどのように使えば有効か、少しばかり考えてみたいと思います。

Img_52802
                     図解 ザ・メタシークレットP66

 現代の陰陽道(結界論等)を凡夫なりにも少しづつ学んでいくと、陰陽で表される「表裏一体」であるような、二元論的思考が知らず知らずに身について来るようなのですが、その二元論的思考のひとつに『両性の法則』(ヘルメスの7法則のひとつ)あり、 

 どうも、すぐれたリーダーほど+のエネルギー&-のエネルギーを、シームレスで実に巧みに使い分け有効に活用されているように思います。

Img_53272
                     図解 ザ・メタシークレットP67  

 プレアデスのウォルト・ディズニーも、実はこうした法則を十分に熟知された上で+のミッキーと-のミニーを登場させているのだろうと思いますね。

 

 以下、図解 ザ・メタシークレットP66~67抜粋引用

 男性エネルギーは、外向的で宇宙に放出されます。 一方、女性エネルギーは、バッテリーが上がってしまった時に使うブースターコードのように働きます。 


 プラスの男性性は常にはねつけ、マイナスの女性性は常に引き寄せます。 

 プラスが良いことを意味し、マイナスが悪いことを意味するわけではありません。 

 
ヘルメス派の人々は、エネルギーのマイナスの流れを女性性と呼びました。それは、女性が新しい命を創造する役割を持つ創造の源だからです。

 『両性の法則』は、宇宙のすべての創造物が持つバランス体系です。

 
ヘルメス派の人々は、これを推し進め、人間の精神を男性エネルギーと女性エネルギーに分けました。

 
「Meエネルギー」は、私たちの感情、癖、気分などを表す女性エネルギーです。

 
「Iエネルギー」は、私たちの欲求や欲望を表す男性エネルギーです。

 両方が目的のために働きますが、片方だけではどちらも任務を成し遂げることはできません。

 この過程をよく見てみると、私たちは何事を達成するにも、この
「Meエネルギー」がアイディアを出し、「Iエネルギー」が行動に出ます。

 
「Meエネルギー」は、あなたの今の気持ちをつくっています。そして、「Iエネルギー」は今の気持ちを軸にして、気分を上げたり下げたりしているのです。

 法則性で客観的にものを見ると、「そういわれてみればなるほど…。」ということが多いですねぇ。 プレアデスの人々のように『両性の法則』(ヘルメスの7法則のひとつ)上手に使いこなせるようになりたいものですね。

 そしてヘルメス的なるもの(心の法則)、そう感じさせるもの、匂わせるものも、できるだけ学びつくしてみたいものですね。

 

 今回も御覧いただきましてありがとうございます。 心より感謝いたします。m(_ _)m

 ※過去記事参照 この音楽をどう役立てるのか?

  つづく。

 

 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

ミッキーのノート

☆ミッキー&ミニーマウスの100円均一SHOP商品ではやはり品質に限界があり、あくまで「お試し」や「消耗品使い」なんでしょうねぇ。 中には優れたモノもありますが、それ以上の、愛着を持って長く使える感を味わうことは少々難しいです。 

 そこで、今回は品があって『大人かわいいミッキー』を見つけて来ましたよ。(笑) ミッキーマウス生誕85周年を祝して生まれた限定版『ディズニー ノートブック プレーン(無地)/ ポケット』という商品です。

 最初はネットで見つけたのですが、どんなものか手にとって見てみたいので、近所で探してみたのですが、あべの&ロフト3Fの文具売り場にありました。(笑)

Imgp71502

 ↑表↓裏、しっかり、ビニールでパッケージされていますねぇ。

Imgp71512

R10117002

 ↑表↓裏、生まれてはじめて2100円の高価なノート(手帳)を購入ですねぇ。 しかも中は無地ですね…。

 これを使うことによって、インスピレーショナブルな豊かな発想が湧き出るようであるといいのですが…。 まぁ、自分次第でしょうが。(苦笑)

R10117052

R1011703

 裏の下には、モレスキンのブランド名が…。

R00101302

 なるほど、こういうコンセプト商品のようですね。ゴッホピカソヘミングウェイチャトウィンも、その昔はこの手のノートをご愛用されていたようですね…。

 少しでも、あやかりたいものですねぇ。 期待しちゃいますよね。

R10116892

 ↑↓表表紙に描かれたミッキー。 なかなかいい感じ(質感)のようです。

R10116912

R10116932

 ↑表表紙の裏の見開き

R10116942

 ↑裏表紙の裏の見開き 向かって右はポケットになっています。

R10116962

 これが↑↓サプライズのおまけみたいです。(笑)

R10116992

  さて、どのように使うの一番有効か、しばし考えどころですねぇ。(笑)

 今回も御覧いただきまして、本当にありがとうございました。心より感謝いたします。m(_ _)m

  つづく。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

GXR+S10を思う…。

Img_526925
       GXR+S10をIXY410Fで、それ・ら・し・く・質感描写で撮ってみた。

☆こうしてGXRS10を少し使ってみると、GXRはカメラとして玄人好みな実用性を当然に問われるとともに、趣味嗜好においても独特の魅力を放っている感じが強くあります。 

 手触りの感触、つまり接触性能、手に持って感じる、モノ、道具としての精密さ、完成度の高さ、質感。 見た目の無骨さ、ほとんどの女性は多分好まないだろうおっさん臭さ、泥臭さ、が、まぁ、なんとも格好良く、携帯電話の買い替え感覚のような電化消耗品デジカメといった刹那な浅薄感は一切なく、

  最初の設計思想から、愛着を抱いてその気になればとことん使いこなし、写真の腕も上げていけてGXR共に成長できる愉しみや、カメラユニット、マウントユニットの斬新性、近未来性など、どう考えてもアナログ感に満ちあふれた極めて希なデジタル機器といった感じがする。

 このGXRは、商業的に成功したかどうかは知らないがすでに生産中止。 新しいGXRが出るという噂もあり、在庫処分か分からないけど、投げ売り価格か、現在、安価で手に入る状況にある。

                           安達ロベルトさんのリコーデジタルカメラGXRのショートムービー

 もちろん写真好きの人の価値観もいろいろあり、次々と新しい魅力的なデジカメが新発売され続けているが、流行に流されることなく、今、じっくりと写真を撮ることに取り組みたい、とことん使いこなしを覚えて長く愛用したい。と、思える人にとってはGXRは、実に手が出しやすいチャンスでもある感じがしますねぇ。


 このS10のカメラユニットの動画では女性が使っている。PRだからそれはそれでよいか。(笑) 

 今回も御覧いただきましてありがとうございました。心より感謝いたします。

 つづく。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

☆京都御所の梅林

Imgp509822

☆京都御所の梅林。 3月13日(水)明るい曇天 レンタサイクルで晴明神社から地主神社に向かう途中でたまたま見つけたので撮影させていただきました。 気分が良いですね。(^o^)

 

  【京都御所の南西側にある梅林】には約200本の梅の木があります。
 主に昭和2 0年代に京都各地の神社から譲り受けた穂を接ぎ木で育てたものです。まだ、 寒さの残る早春の2月中旬から3月中旬に赤、白、ピンクの花を咲かせます。

 と、御苑のHPに説明がありました。

 

  それでは、ゆっくり梅香を、御所の気品ある春の香りをお楽しみいただければ幸いです。

Imgp50562

Imgp50592

Imgp50672

Imgp50782

Imgp50862

Imgp50802

Img_45072_2

Imgp50742

Imgp50882

Imgp50942

Imgp50822

Imgp51152

Imgp51122

Imgp50912

 大阪城の梅林はよく撮りますが、京都御所では初めての撮影です。
 全然「場」の空気、磁場が違うので心集中しやすく愉しい撮影になりますね。

 いかかでしたでしょうかぁ。
 一幅の清涼となれば幸いです。

 御覧いただきましてありがとうございました。
 心より感謝いたします。m(_ _)m

| | コメント (0) | トラックバック (0)

飛鳥川(明日香川)

Imgp472722

☆でかける時間が遅くなったので、よく分かっている飛鳥川(明日香川)をフォトウォーキング(写真は甘樫丘から石舞台)してみました。平成25年1月23日(水)天気は曇。 カメラはPENTAX K-5+18~135mmの標準系ズーム1本です。

 本当は春の明日香が好きなので、少々春が待ち遠しい感じもあります。 が、冬枯れのこの季節に撮影するテーマとしては、結構、難易度が高い方の「撮影」の部類に入りますでしょうかぁ。 そういう写真にトライすのもある意味また楽しいものですね。(^o^)  

 それでは、飛鳥川(明日香川)を、肩の力を抜いて、ゆっくり、じっくりと、リラックスいただいてお気軽に御覧下さいませ。m(_ _)m  (万葉の専門家、増山佳延講師の「歌」の動画解説あり)

Imgp47112

Imgp471323

Imgp471622

 飛鳥川(明日香川)のいい表情を探しながら、ゆっくりと歩いています。

Imgp47172

Imgp47182

Imgp47672

Imgp47192

Imgp47212

Imgp47232

Imgp47242

Imgp47342

↑巻10-3267: 明日香川瀬々の玉藻のうち靡き心は妹に寄りにけるかも (作者未詳)

 万葉集の川の中で、この飛鳥川(明日香川)が一番歌を多く詠まれた↓ようです。

巻2-194: 飛ぶ鳥の明日香の川の上つ瀬に生ふる玉藻は.......(長歌) (柿本人麻呂)
巻2-196: 飛ぶ鳥の明日香の川の上つ瀬に石橋渡し.......(長歌) (柿本人麻呂)
巻2-198: 明日香川明日だに見むと思へやも我が大君の御名忘れせぬ (柿本人麻呂)
巻3-325: 明日香河川淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき恋にあらなくに (山部赤人)
巻3-356: 今日もかも明日香の川の夕さらずかはづ鳴く瀬のさやけくあるらむ (上古麻呂)
巻4-626: 君により言の繁きを故郷の明日香の川にみそぎしに行く (八代女王)
巻7-1126: 年月もいまだ経なくに明日香川瀬々ゆ渡しし石橋もなし (作者未詳)
巻7-1366: 明日香川七瀬の淀に住む鳥も心あれこそ波立てざらめ (作者未詳)
巻7-1379: 絶えず行く明日香の川の淀めらば故しもあるごと人の見まくに (作者未詳)
巻7-1380: 明日香川瀬々に玉藻は生ひたれどしがらみあれば靡きあはなくに (作者未詳)
巻8-1557: 明日香川行き廻る岡の秋萩は今日降る雨に散りか過ぎなむ (丹比真人国人)
巻10-1878: 今行きて聞くものにもが明日香川春雨降りてたぎつ瀬の音を (作者未詳)
巻10-2701: 明日香川明日も渡らむ石橋の遠き心は思ほえぬかも (作者未詳)
巻10-2702: 明日香川水行きまさりいや日異に恋のまさらばありかつましじ (作者未詳)
    3267: 明日香川瀬々の玉藻のうち靡き心は妹に寄りにけるかも (作者未詳)
巻19-4258: 明日香川川門を清み後れ居て恋ふれば都いや遠そきぬ (作者未詳) 

 この赤字の二歌を、もう少し下↓で、増山佳延講師の動画による詳細解説があります。 お楽しみに。(^o^) 

Imgp47312

Imgp47372

  いい表情とは、何かアクセントとなるような特徴のある部分を探して、愛でるみたいな感じでしょうかぁ。

Imgp47382

Imgp47432

Imgp474822

Imgp47532

Imgp47662

Imgp47702

Imgp47712

 ↑↓橘寺(たちばなでら)ナンテン(赤い実)

 ナンテンは音が「難を転ずる」に通ずることから、縁起の良い木とされ、鬼門または裏鬼門に植えると良いなどという俗信がある。福寿草とセットで、「災い転じて福となす」ともいわれる。

 特に【聖徳太子ご誕生所】の橘寺のナンテンなので、やっぱり、縁起良く、御利益もありそうです。♪ 

 どうかこのフォトログを御覧のあなた様に『難転』のパワーが宿りますよう!に。 聖徳太子様よろしくご指導お願いいたします。m(_ _)m

Imgp47732

Imgp4777

Imgp47802

Imgp47852

Imgp47912

 ↑巻7-1380: 明日香川瀬々に玉藻は生ひたれどしがらみあれば靡きあはなくに (作者未詳)

 ↑万葉の専門家、増山佳延講師の【動画の解説】です。  雰囲気はとてもよく分かりますよねぇ。(^o^)

巻10-3267: 明日香川瀬々の玉藻のうち靡き心は妹に寄りにけるかも (作者未詳)
 こんなに靡(なび)き合っているから、ふたりの仲(この恋)は上手く行くよ。

相聞の歌 巻7-1380: 明日香川瀬々に玉藻は生ひたれどしがらみあれば靡きあはなくに (作者未詳)  しがらみがあるから、あなたが私に寄せている思いは成就しませんよ。

 動画で解説があったように、日本は一般の庶民も歌を詠みそれを伝承して、万葉集が編纂されるくらいの、文化的に高い土壌にあるのだということを、再認識させていただきました。

Imgp478923

 いかがでしたでしょうか。

 

  飛鳥川(明日香川)お散歩のリラックス感が伝わりましたでしょうか?

 

  今回も御覧くださいまして、ありがとうございました。m(_ _)m

※過去の関連記事参照

 ☆飛鳥路に万葉ロマンを求めて-甘樫丘-

 飛鳥路に万葉のロマンを求めて

  春の明日香 ・ 謳歌♪

  ☆春爛漫『桜』の明日香♪

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

☆『草笛の音』という話と【陰陽師的瞑想曲】

☆『瞑想』で本当に使えるもの、今回は特に【陰陽師的瞑想曲】で、静寂な心に誘われるものをご紹介したいと思います。  が、 その前に、なぜその【陰陽師的瞑想曲】をご紹介させていただこうと思った『動機』を少しばかり、お聞きいただければありがたいと思います。

 それが、『草笛の音』という話です。 お時間の許す方は、少し長文ですがしばしお付き合いくださいませ。m(_ _)m

 昔、あるところに大男がいた。 

 この大男は、身長は二メートル五十センチもあろうかという大男であった。 

 街の中を歩いても、だれもかれもがその大男の顔を見ては恐れおののき、そして家のなかに入っては閂(かんぬき)をかけ、窓の隙間からその大男が遠ざかってゆく姿を見ていた。

 その大男は、頭にターバンを巻き、腕に金の輪を巻き、体は赤銅色、腰から下には何とも言えないネズミ色のズボンをはいていた。そして足首には鉄の鎖がついていて、この大男がどこからともなく逃亡してきた者であるということを推定させた。

 この大男は、たいへん力が強く、馬の一頭、二頭をひきまわすのは当然のこと。木造建ての小さな家など、この大男が怪力を発揮すれば、たちまち壊されてしまうほどであった。動物たちも、この大男が通ると、いつ締め殺されるかと思って、悲鳴をあげては、逃げまどった。

 そこで、村の長老が協議をした。

 「あの大男を何とかできないものだろうか。何とか、あの大男の粗暴なはたらきを、やめさせることはできないだろうか」 そうやって、村の長老たちが三日三晩協議をしたが、なかなか結論が出なかった。

 そこで、「結論が出ないが、とりあえずあの大男を生け捕りにして、村から外に追い出すことに成功すれば、どうにかなるのではないか」そのように提案する長老がいた。

 他の者は、「なるほど、あの大男を生け捕りにして、村から出せば、確かに我らは安全であるが、ところで、その大男がまた帰ってきた時にはどうするのだ」

 「そういえば、帰ってくるとなると、いつ帰ってくるかわからぬが、それがまた心配の種になる」

 「しかして、その前に、どうやって彼を生け捕りにするのだ。生け捕りにするような勇気がある者がいるのか」そのように言う者もあった。

 「ウーン、それでは、大男が帰ってこないようにするためには、殺生の罪を犯すことにはなるが、ひと思いに彼を殺してしまったほうがいいだろうか」

 そうやって協議をしばらく続けた。あの大男をどうやって殺すのか。しかし、彼を殺そうとしても、もし、し損じたならば、大暴れされて、村人は何十人となく殺されるかもしれない。

 もし、弓矢で射たしても、あの鋼(はがめ)のような体に、ほんとうに矢が通るのかどうか定かではないし、もし矢が通ったとしても、そんなものではあの男はビクともしないかもしれない。

 また、何か罠(わな)をかけてつかまえるということもあるが、その罠を見破られた時に、また大変なことになる。

 いろいろ議論百出したが、どうしてもよい知恵が浮かばない。

 「困ったものだ」「困ったものだ」

 その時に、ある若い女性がその話を聞いていて、

 「私の意見がみなさまに聞いていただけるかどうかわかりませんが、実は、一つ名案がありますので、私の案を使わせていただけませんでしょうか」

 そのように、若い女性は話を切り出した。

 長老たちは意外な思いがした。 その若い女性が、どうやってあの大男を始末するというのだろうか。どう考えてもわからなかった。

 「いいえ、どうか私めにお任せください。必ず、明日以降、あの大男が粗暴なふるまいをしないようにしてみせます」

 「まあ、そうしてくれるならば、それに越したことはないが、どうしようが、皆の者」

 そして、長老たちは議論をして合ったが、ほかによい案もないので、とうとうその若い女性の意見を採用し、彼女に任せることとした。

 その若い女性には、小さな男の子が一人いて、その子はやっと五つになるぐらいの歳であった。この子はさほど取り柄もない子供であったが、一つだけ得意なものがあった。

 それは、草笛を吹くという技術であった。

 この賢く若い母親は、自分の子供の草笛によって、あの大男が必ずおとなしくなると考えたのだ。

 翌日、また街の外れから大男が、砂煙をあげて、ドッドッドッと街の中心に向かってやってきた。

 街の者どもはまた雨戸を閉めて、オロオロと家の中にこもっていた。

 今日は、どこに被害が出るか、だれが怪我(けが)をさせられるかと思って、恐れおののいていたが、その街のまんなかに、その母親と子供の二人だけが残った。

 広場に、二人の姿があって、それをうかがう者たちは、

 「だいじょうぶだろうか。若い女性と子供じゃないか。ひとたまりもないかもしれない。食べられてしまうのじゃないか」

 そう噂していた。 そこへ、鬼がと思うようなその大男がやってきた。 そして、まわりの者の予想通りその母親と子供につかみとろうとした。 みんなが固唾(かたず)を飲んで、

 「ああーっ、これは大変なことになる」

 と思って見ていたところが、母親は穏やかな顔で、右側にいる自分の子供にそっと頷(うなず)いた。

 すると、その子供は、ふところから草の葉を撮り出して、草笛を吹きはじめた。その「ピーヒョロ、ピーヒョロ」という音が、その大男には何ともいえない感情を抱かせた。

 「何だろう、この音色は。この音色は何だろう。ああーっ、この音色は懐かしい。どこかで私はこの音色を聞いた気がする。どこかでこの音色を聞いた覚えがある」

 その母親は見抜いていた。その大男はきっとインドのほうのたぶん身分のある人に仕えていた下僕に違いない。その身分ある人は、おそらく音楽を使って、この大男の、この凶暴な性格を穏やかにしていたに違いない。そう感じていたのだ。

 たしかに、大男は昔、逃亡してくる前は、ある若者に仕えていた。その若者は体こそ小さかったが、笛をじょうずに吹いて、その大男をいつもなだめていた。

 それゆえに、その大男は、しばらく聞いたことがない音色というものを、小さな男の子の草笛を通して感じ取ったのだった。 そして、自分が今までやってきたことを、ふと、ふり返った。すると、目から大粒の涙がハラハラ、ハラハラ、ハラハラ、ハラハラ、ポタポタ、ポタポタと落ちてきた。

 「小さな五歳の男の子の草笛に、あの大男が涙を流しているぞ」

 村人たちは驚いた。そして、

 「なんだなんだ。そんな悪者でもなかったのか。子供の草笛で涙を流すとは、そんな悪者ではなかったのか」と、おそるおそる雨戸をあけて、一人二人と集まってきた。 そして、村の広場は人びとでいっぱいになった。

 「そうか、この大男は何ひとついいところはないと思ったが、音楽を解する心があったのか。それでは、みんなでいっしょに、笛を吹いてみようじゃないか」村の笛を持ち寄って、皆の者が笛を吹いた。そうすると、大男は最初は涙を流していたが、次第しだいに陽気になり、まわりの者といっしょに踊るようになった。こうして、笛の音色ということを通して、大男の心の優しさが知れ、そしてまわりの者も安心感を得て、いっしょになかよく住めるようになったのだった。

 大男は、村を外敵から守り、そして村人たちは大男に笛を吹いてやることによって、彼の心を和ませた。こうして両者が平和に暮らしたと言う話だ。

 さて、以上のたとえ話で私が何を話したかったか、

 あなたがたにわかるだろうか。

 この大男と村人というのは、決して別々の人のことではない。

 

 実は、あなたがたの心のなかに住んでいる住人であるのだ。

  

 あなたがたの心のなかには、

 実はどうすることもできない粗暴な大男がおり、

 またその大男に対して、怯え、恐れおののく

 小心な自分というものがある。

 誰の心のなかにも、こうしたものはあるのだ。

 自分の心を統御しようとしても、

 どうしても欲望にひかれてゆく心があるはずだ。

 

 その欲望にひかれている心は、

  たとえば異性を見ては、心が狂い、

 金銭を見ては、心が狂い、

 また他人の持ち物を見ては、心が狂い、

 あるいは他の人が幸福になると聞いては、心穏やかではない。

 そうした荒れ狂う台風のように統御できないものが

 自分の中にあるはずだ。

   その統御できないものこそ、

 実はこのたとえ話に出てくる大男であるのだ。

 

 しかし、この統御できない大男も、

 かつて鎖(くさり)につながれていた時に、

 どこかの誰かに統御されてきた、

 支配されてきた、

 飼い慣らされてきたという、懐かしい気持ちが残っている。

 その懐かしい気持ちを想い起こさせたならば、

 その大男をおとなしくすることはできるのだ。


 それは、もっともっと力の弱い、小さな村人だと思われる者であっても、

 その大男を統御することができる。

 その通り---。 


 まず恐れというものをなくさねばならない。

  自分の心は自分の手に負えぬものだと思ってはならない。

  自分が自分ではないような、

 まったく魔に踊らされ、魔に自由にされるような、

  そんな自分であると思っていけない。

 

 自分は必ず、自分の心を統御できると思わなくてはならない。

 そして、統御する方法はというと、

 実は決して腕力によって統御するのではない。

  

 これが何を言っているのかわかるだろうか。

 

 それは、決して難行・苦行によって、

 自分の心を統御することができるわけではない、

 ということを言っているのだ。


 滝行をしたり、あるいは断食行をしたり、

 いろいろ難行・苦行があるが、難行・苦行によって、

 その心をなだめよう、心を統御しようとする試みは、

 弓矢を射かけたり、あるいは罠をしかけたりして、

 大男をなんとか取り押さえようとするのと同じで、

 かえって大男を凶暴にさせてしまうことになるだろう。

 心はいっそう自由にならなくなる。

  

 そうではない。

 

 もっと平和的で、

 もっと小さな気づきを用いて、

 もっと楽しい方法によって、

 心というもは統御できるのだ。

 

 つまり、私は、

 決して非凡な世界の中に悟りがというものがあるのではない、

 決して非凡な経験の中に悟りがというものがあるのではない、

 ということが言いたいのだ。

 日々の平凡な生活のなかに、実は悟りへのよすががある。

 実は、悟りへの道があるのだ。

 そして、平凡な日々のなかの、

 平凡な一日一日のなかの悟りとは、

 実は、ほんの小さな発見にあるということを私は言いたいのだ。

 

 ほんの小さな発見とは何であるか。

 それは、かつて、私たちが実在界・天上界にいた時に、

 知っていたところの音色だ。

 その音色を想い起こすということなのだ。

 私たちが悟りに到るためには、

 実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことなのだ。

 それが大事なのだ。

 

 実在界で味わっていた音色とは何であるか。

 それは、人に対する優しい気持ちでもあったであろう。

 人に対する祝福の気持ちでもあっただろう。

 また欲望を強くせず、足ることを知る心でもあっただろう。

 あるいは、ともに相和し、ともに協力しあい、

 ともに生かし合う姿であっただろう。

 限りなく透明感にあふれ、限りなく優しい、限りなく暖かい、

 そうした気持ちがあったのであろう。

 しかり、そのような世界こそが天国である。

 このように地上に降りて生きていても、

 この天国のことを思い出して、日々、生きることだ。

 天国の生活を、日々、想いにおいて描いて生きることだ。

 さすれば、その時に小さな小さな草笛を吹いていることになる。

 やすらぎの世界のことを常に想い描いて日々を生きることだ。

 

 その時に、大男は静まり、やがてあなたがたの敵ではなくなるだろう。

 あなたがたを味方し、あなたがたの思いのままに動いてくれる、

 大切な大切な力となるであろう。

  

 私は今、たいへん平凡なことを言った。

 平凡ななかに悟りの香りがあるという話をした。

 さて、ではこの成功の条件であるところの悟りの香り、

 魂が光っているとういう感覚と、

 忍耐ということはどういう関係にあるのか、わかるだろうか。

 

 すなわち、忍耐と成功とは、

 平凡という言葉によってつなぎ合わされることとなるのだ。

 非凡な毎日、非凡な生活のなかでは、

 忍耐というものは、それほど大きくはたらかないかも知れない。

 しかし、平凡な毎日を積み重ねてゆくということは、

 限りなく忍耐を要求されることであるのだ。

 

 平凡な毎日を送ってゆくということは、限りなく忍耐が必要となる。

 平凡な毎日を送りながら、

 その中で、天国の懐かしい情景をときおり心に想い巡らせて、

 そしてそれを理想と生きていくということは、

 絶えず困難で、絶えず難しい問題であると思える。

  

 しかし、こうした弛(たゆ)みない努力こそが、

 人をして、永遠に進歩させ続けるのだ。

 修行の過程において、一躍悟ることは難しい。

 

 一躍大いなる進歩をすることは難しい。

 一冊の本を読み上げることができなくとも、

 たとえ一行なりとも読み、

 今日は一歩前進したと思えるような毎日を積み重ねることが、

 実は大いなる未来を開いてゆくための鍵となるのだ。

 

 成功には、忍耐が必要で、

 忍耐を用いて成し遂げた成功は、

 決して他の人々の嫉妬をかうことはないであろう。

 

 それはその人が費やしたそれだけの努力が、

 他の人々の尊敬を受けるからである。

  このように忍耐を得られた成功には、必ず徳というものが光っている。

 

 この徳は、

 他人の嫉妬心や僻(ひが)みの心を完全に消し去るだけの解毒剤を有している。

 すべからく成功者は、このように、忍耐によって徳を身につけることが大事である。

 さすれば、必ずその努力は、

 報いがあって、しかも余りあるものとなるだろう。

 余得というものが生まれてくるにちがいない。

 私はそう思う。

 と、お釈迦様のたとえ話(仏陀再誕P221~242)ですが、その中で

 平凡な一日一日のなかの悟りとは、

 実は、ほんの小さな発見にあるということを私は言いたいのだ。

  ほんの小さな発見とは何であるか。

  それは、かつて、私たちが実在界・天上界にいた時に、

  知っていたところの音色だ。

  その音色を想い起こすということなのだ。

  私たちが悟りに到るためには、

  実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことなのだ。

  それが大事なのだ。

  とありました。 


  とむすけさんやはり 『反省→瞑想→祈り』大事ですよ。と、

 みなさんが教えてくださることもあり、実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことなのだ。とは、それを実際に継続していこうと思うならば、どうしても 『反省→瞑想→祈り』凡夫なりにも深めていく必要があると、強く感じさせていただいています。

 とはいっても、一躍という感じにはとうてい無理無理(>_<)なので、

 たとえば 『反省→瞑想→祈り』 の中の【瞑想】の時にその導入で、実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことできる心地よい調べというか、高次元波動(バイブレーション)の瞑想曲(何らかの笛)がほしいと思い、いろいろ探し試してみて考えるのですが、

 その中でも【陰陽師的瞑想曲】となると、心静かに集中しやすく心地良い感じ♪が強くする、映画陰陽師独奏の素敵な曲がよいだろうと選ばせていただいた次第です。

 すみません随分と前振りが長かったですが、結局はお気軽にお楽しみくだされば幸いです。(^o^) 

 また、この動画UPしてくださった方(作者に)に心より感謝いたします。m(_ _)m




| | コメント (0) | トラックバック (0)

☆奈良公園の紅葉と『ヤバいほど、好きよ。』

Imgp38792
                       興福寺南円堂の裏

☆この2~3日で急に冷え込んだので、紅葉が綺麗になって来ているだろうと思い、今日の休日は定番の奈良公園一帯を、軽いフォトウォーキングをしました。(^o^) 

 平成24年11月14日 カメラはK-5+18~135mmの標準ズーム1本のみの超お気軽撮影です。 

 少しだけ、逆光、半逆光を意識してみました。 とっても、リラックスしてくつろいで御覧いただければ幸いです。 それでは、ゆっくりとお楽しみくださいませ。

Imgp38652

Imgp38812

Imgp38872

Imgp38882

Imgp38952

Imgp38972

Imgp39032

Imgp39202

Imgp39232

Imgp39282

Imgp39302

Imgp39322

Imgp39382

  ええ感じで、とっても↑くつろいで、いらっしゃいます。笑

Imgp39462

Imgp39532

Imgp39732

Imgp39882

Imgp40012

Imgp40062

  いつもながら↑この浮御堂も、強いパワースポット、癒しスポット、芸術スポットですよねぇ♪

Imgp40182

Imgp40202

Imgp40212

Imgp40362

 いかがでしたでしょうかぁ。

  何かしら、紅葉の和み感、くつろぎ感が少しでも、お伝え、お届けできれば幸いです。

 今回も御覧いただきまして、本当にありがとうございます。 心より感謝いたします。m(_ _)m

 ※おまけ↓ 帰りに目についたかわいい鹿のポスター。
Imgp40422

 花飾りのついたかわいい鹿の表情とキャッチコピー『ヤバいほど、好きよ。』の表現に感心させられたんですが、近づいて見ると、大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)が詠まれました。 とあります。

 『ヤバいほど、好きよ。』っていう表現が、ほんまに万葉にあるんかいな?と思い

 さらに近づいて、奈良の字の上に…。

 ここから調べました。↓ 

 恋ひ恋ひて逢へる時だに愛(うつく)しき言(こと)尽くしてよ長くと思はば(万4-661)

 【通釈】恋して恋して、やっと逢えた時くらい、情け深い言葉をありったけ言い尽くして下さいな。これからも二人の仲を長く続けようと思うなら。
 
 なるほどぉ、こういう意味やったんかぁ。(笑)

 万葉の専門家増山佳延講師に、その大伴坂上郎女と、この歌の背景の詳細を教えてもらわねばぁ。

 (その後、12月15日京都駅から帰る時に、増山佳延講師と、たまたまご一緒させていただくことになり、その時に詳細をお聞きしました。 ^o^)

 それにしても、鹿の表情に託してここまで写真表現できるとは、実に素晴らしいですねぇ♪
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

☆飛鳥路に万葉ロマンを求めて-甘樫丘-

Imgp33912

☆飛鳥路に万葉ロマンを求めて(平成24年9月17日) 増山佳延講師

 万葉の世界にどっぷりと心豊かにつかり、存分に楽しませていただいて来ました♪ そのうちの抜粋-甘樫丘-を動画で御覧下さいませ。

( 注 デジカメ撮影による動画ですので、マイクに風防がないのでボコボコと雑音が入りました。ご了承くださいませm(_ _)m )

増山佳延講師によると、

万葉時代に常識になっていたこと

○魂はモノに引っ付く→手作りマフラー ・サイン ・ 握手 ・ 形見

○言霊信仰(言葉の創化力)→良き言葉を発すれば良きことが起こる

○魂の永遠性(魂魄思想)→魂は天涯を浮遊し、魄は地に留まる 

※墓は先祖の霊が生まれ変わって来る時の目印

Imgp3327_2

Imgp33542

Imgp33652

Imgp33832

Imgp33762

Imgp33662

万葉の世界を少しばかりか、お楽しみいただけましたなら幸いです。

御覧いただきまして、ありがとうございました。

心より感謝いたします。m(_ _)m

※過去記事参照 飛鳥路に万葉ロマンを求めて


| | コメント (0) | トラックバック (0)

☆映画「神秘の法」

Img_35282

☆大阪平野支部でいただいてきた映画『神秘の法』のポスターを貼り、前回の映画ファイナルジャッジメント同様、安倍晴明神社にお参りし、映画の大成功をお祈りしてきました。(^o^) 

 今回は大阪正心館で試写を観る機会をいただけましたので、ごくごく個人的には木花開耶姫様ご登場の甘樫丘の桜咲く風景に馴染みがあり、

 ああ、ここの甘樫丘の磁場(癒しやパワースポット)は、「木花開耶姫様の霊界に繋がっているのかもしれないな」と思い、とても嬉しい気持ちになれました♪

 映画全般としては『木花貝耶姫様はじめ日本神道の神々が、日本の国をこのようにして護って下さっているのかぁ』という霊的背景が、とてもよく分かりました。

  ありがたいかぎりです。 神々に心より感謝いたします。m(_ _)m

| | コメント (0) | トラックバック (0)

☆ファイナルジャッジメント JR天王寺駅北口 街頭キャンペーン

☆ファイナルジャッジメント JR天王寺駅北口 街頭キャンペーン  平成24年5月6日 幸福の科学大阪平野支部のみなさまのご活躍です♪ (カメラはソニーCX180に広角コンバージョンレンズ付です。)



 ※編集にあたり、ピカソ霊示集(大川隆法霊言全集第39巻)のP266 松尾芭蕉先生の一節 

 『私は真実、自分の心を動かしたものを詠み込んで、いきたい。このように思うし、句の中に、やはり自分の魂というものが、どこかになければやはり句は空しい』とあるように、 

 句(俳句)を写真やVTR表現形式に読みかえて、心して撮影、編集に臨んだ。
 願わくば、松尾芭蕉先生のように
嘘のない真実の動画でありたいと切に願う。

 常日頃、私はマズゴミ(虚飾のかたまり)を痛烈に批判するが、それは『批判の為の批判』であってはならない。

 世の中を少しでも、本当に真剣に明るく照らそうとする、このような幸福の科学の大阪平野支部の方々のこうしたご努力を、その気持ちを汲み、一切無駄にしたくはないと思う。

 ピカソ霊示集の芸術系の神々に、主エルカンターレに、こうした貴重な機会を賜り、心より感謝いたします。m(_ _)m

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧