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2012年12月

☆『草笛の音』という話と【陰陽師的瞑想曲】

☆『瞑想』で本当に使えるもの、今回は特に【陰陽師的瞑想曲】で、静寂な心に誘われるものをご紹介したいと思います。  が、 その前に、なぜその【陰陽師的瞑想曲】をご紹介させていただこうと思った『動機』を少しばかり、お聞きいただければありがたいと思います。

 それが、『草笛の音』という話です。 お時間の許す方は、少し長文ですがしばしお付き合いくださいませ。m(_ _)m

 昔、あるところに大男がいた。 

 この大男は、身長は二メートル五十センチもあろうかという大男であった。 

 街の中を歩いても、だれもかれもがその大男の顔を見ては恐れおののき、そして家のなかに入っては閂(かんぬき)をかけ、窓の隙間からその大男が遠ざかってゆく姿を見ていた。

 その大男は、頭にターバンを巻き、腕に金の輪を巻き、体は赤銅色、腰から下には何とも言えないネズミ色のズボンをはいていた。そして足首には鉄の鎖がついていて、この大男がどこからともなく逃亡してきた者であるということを推定させた。

 この大男は、たいへん力が強く、馬の一頭、二頭をひきまわすのは当然のこと。木造建ての小さな家など、この大男が怪力を発揮すれば、たちまち壊されてしまうほどであった。動物たちも、この大男が通ると、いつ締め殺されるかと思って、悲鳴をあげては、逃げまどった。

 そこで、村の長老が協議をした。

 「あの大男を何とかできないものだろうか。何とか、あの大男の粗暴なはたらきを、やめさせることはできないだろうか」 そうやって、村の長老たちが三日三晩協議をしたが、なかなか結論が出なかった。

 そこで、「結論が出ないが、とりあえずあの大男を生け捕りにして、村から外に追い出すことに成功すれば、どうにかなるのではないか」そのように提案する長老がいた。

 他の者は、「なるほど、あの大男を生け捕りにして、村から出せば、確かに我らは安全であるが、ところで、その大男がまた帰ってきた時にはどうするのだ」

 「そういえば、帰ってくるとなると、いつ帰ってくるかわからぬが、それがまた心配の種になる」

 「しかして、その前に、どうやって彼を生け捕りにするのだ。生け捕りにするような勇気がある者がいるのか」そのように言う者もあった。

 「ウーン、それでは、大男が帰ってこないようにするためには、殺生の罪を犯すことにはなるが、ひと思いに彼を殺してしまったほうがいいだろうか」

 そうやって協議をしばらく続けた。あの大男をどうやって殺すのか。しかし、彼を殺そうとしても、もし、し損じたならば、大暴れされて、村人は何十人となく殺されるかもしれない。

 もし、弓矢で射たしても、あの鋼(はがめ)のような体に、ほんとうに矢が通るのかどうか定かではないし、もし矢が通ったとしても、そんなものではあの男はビクともしないかもしれない。

 また、何か罠(わな)をかけてつかまえるということもあるが、その罠を見破られた時に、また大変なことになる。

 いろいろ議論百出したが、どうしてもよい知恵が浮かばない。

 「困ったものだ」「困ったものだ」

 その時に、ある若い女性がその話を聞いていて、

 「私の意見がみなさまに聞いていただけるかどうかわかりませんが、実は、一つ名案がありますので、私の案を使わせていただけませんでしょうか」

 そのように、若い女性は話を切り出した。

 長老たちは意外な思いがした。 その若い女性が、どうやってあの大男を始末するというのだろうか。どう考えてもわからなかった。

 「いいえ、どうか私めにお任せください。必ず、明日以降、あの大男が粗暴なふるまいをしないようにしてみせます」

 「まあ、そうしてくれるならば、それに越したことはないが、どうしようが、皆の者」

 そして、長老たちは議論をして合ったが、ほかによい案もないので、とうとうその若い女性の意見を採用し、彼女に任せることとした。

 その若い女性には、小さな男の子が一人いて、その子はやっと五つになるぐらいの歳であった。この子はさほど取り柄もない子供であったが、一つだけ得意なものがあった。

 それは、草笛を吹くという技術であった。

 この賢く若い母親は、自分の子供の草笛によって、あの大男が必ずおとなしくなると考えたのだ。

 翌日、また街の外れから大男が、砂煙をあげて、ドッドッドッと街の中心に向かってやってきた。

 街の者どもはまた雨戸を閉めて、オロオロと家の中にこもっていた。

 今日は、どこに被害が出るか、だれが怪我(けが)をさせられるかと思って、恐れおののいていたが、その街のまんなかに、その母親と子供の二人だけが残った。

 広場に、二人の姿があって、それをうかがう者たちは、

 「だいじょうぶだろうか。若い女性と子供じゃないか。ひとたまりもないかもしれない。食べられてしまうのじゃないか」

 そう噂していた。 そこへ、鬼がと思うようなその大男がやってきた。 そして、まわりの者の予想通りその母親と子供につかみとろうとした。 みんなが固唾(かたず)を飲んで、

 「ああーっ、これは大変なことになる」

 と思って見ていたところが、母親は穏やかな顔で、右側にいる自分の子供にそっと頷(うなず)いた。

 すると、その子供は、ふところから草の葉を撮り出して、草笛を吹きはじめた。その「ピーヒョロ、ピーヒョロ」という音が、その大男には何ともいえない感情を抱かせた。

 「何だろう、この音色は。この音色は何だろう。ああーっ、この音色は懐かしい。どこかで私はこの音色を聞いた気がする。どこかでこの音色を聞いた覚えがある」

 その母親は見抜いていた。その大男はきっとインドのほうのたぶん身分のある人に仕えていた下僕に違いない。その身分ある人は、おそらく音楽を使って、この大男の、この凶暴な性格を穏やかにしていたに違いない。そう感じていたのだ。

 たしかに、大男は昔、逃亡してくる前は、ある若者に仕えていた。その若者は体こそ小さかったが、笛をじょうずに吹いて、その大男をいつもなだめていた。

 それゆえに、その大男は、しばらく聞いたことがない音色というものを、小さな男の子の草笛を通して感じ取ったのだった。 そして、自分が今までやってきたことを、ふと、ふり返った。すると、目から大粒の涙がハラハラ、ハラハラ、ハラハラ、ハラハラ、ポタポタ、ポタポタと落ちてきた。

 「小さな五歳の男の子の草笛に、あの大男が涙を流しているぞ」

 村人たちは驚いた。そして、

 「なんだなんだ。そんな悪者でもなかったのか。子供の草笛で涙を流すとは、そんな悪者ではなかったのか」と、おそるおそる雨戸をあけて、一人二人と集まってきた。 そして、村の広場は人びとでいっぱいになった。

 「そうか、この大男は何ひとついいところはないと思ったが、音楽を解する心があったのか。それでは、みんなでいっしょに、笛を吹いてみようじゃないか」村の笛を持ち寄って、皆の者が笛を吹いた。そうすると、大男は最初は涙を流していたが、次第しだいに陽気になり、まわりの者といっしょに踊るようになった。こうして、笛の音色ということを通して、大男の心の優しさが知れ、そしてまわりの者も安心感を得て、いっしょになかよく住めるようになったのだった。

 大男は、村を外敵から守り、そして村人たちは大男に笛を吹いてやることによって、彼の心を和ませた。こうして両者が平和に暮らしたと言う話だ。

 さて、以上のたとえ話で私が何を話したかったか、

 あなたがたにわかるだろうか。

 この大男と村人というのは、決して別々の人のことではない。

 

 実は、あなたがたの心のなかに住んでいる住人であるのだ。

  

 あなたがたの心のなかには、

 実はどうすることもできない粗暴な大男がおり、

 またその大男に対して、怯え、恐れおののく

 小心な自分というものがある。

 誰の心のなかにも、こうしたものはあるのだ。

 自分の心を統御しようとしても、

 どうしても欲望にひかれてゆく心があるはずだ。

 

 その欲望にひかれている心は、

  たとえば異性を見ては、心が狂い、

 金銭を見ては、心が狂い、

 また他人の持ち物を見ては、心が狂い、

 あるいは他の人が幸福になると聞いては、心穏やかではない。

 そうした荒れ狂う台風のように統御できないものが

 自分の中にあるはずだ。

   その統御できないものこそ、

 実はこのたとえ話に出てくる大男であるのだ。

 

 しかし、この統御できない大男も、

 かつて鎖(くさり)につながれていた時に、

 どこかの誰かに統御されてきた、

 支配されてきた、

 飼い慣らされてきたという、懐かしい気持ちが残っている。

 その懐かしい気持ちを想い起こさせたならば、

 その大男をおとなしくすることはできるのだ。


 それは、もっともっと力の弱い、小さな村人だと思われる者であっても、

 その大男を統御することができる。

 その通り---。 


 まず恐れというものをなくさねばならない。

  自分の心は自分の手に負えぬものだと思ってはならない。

  自分が自分ではないような、

 まったく魔に踊らされ、魔に自由にされるような、

  そんな自分であると思っていけない。

 

 自分は必ず、自分の心を統御できると思わなくてはならない。

 そして、統御する方法はというと、

 実は決して腕力によって統御するのではない。

  

 これが何を言っているのかわかるだろうか。

 

 それは、決して難行・苦行によって、

 自分の心を統御することができるわけではない、

 ということを言っているのだ。


 滝行をしたり、あるいは断食行をしたり、

 いろいろ難行・苦行があるが、難行・苦行によって、

 その心をなだめよう、心を統御しようとする試みは、

 弓矢を射かけたり、あるいは罠をしかけたりして、

 大男をなんとか取り押さえようとするのと同じで、

 かえって大男を凶暴にさせてしまうことになるだろう。

 心はいっそう自由にならなくなる。

  

 そうではない。

 

 もっと平和的で、

 もっと小さな気づきを用いて、

 もっと楽しい方法によって、

 心というもは統御できるのだ。

 

 つまり、私は、

 決して非凡な世界の中に悟りがというものがあるのではない、

 決して非凡な経験の中に悟りがというものがあるのではない、

 ということが言いたいのだ。

 日々の平凡な生活のなかに、実は悟りへのよすががある。

 実は、悟りへの道があるのだ。

 そして、平凡な日々のなかの、

 平凡な一日一日のなかの悟りとは、

 実は、ほんの小さな発見にあるということを私は言いたいのだ。

 

 ほんの小さな発見とは何であるか。

 それは、かつて、私たちが実在界・天上界にいた時に、

 知っていたところの音色だ。

 その音色を想い起こすということなのだ。

 私たちが悟りに到るためには、

 実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことなのだ。

 それが大事なのだ。

 

 実在界で味わっていた音色とは何であるか。

 それは、人に対する優しい気持ちでもあったであろう。

 人に対する祝福の気持ちでもあっただろう。

 また欲望を強くせず、足ることを知る心でもあっただろう。

 あるいは、ともに相和し、ともに協力しあい、

 ともに生かし合う姿であっただろう。

 限りなく透明感にあふれ、限りなく優しい、限りなく暖かい、

 そうした気持ちがあったのであろう。

 しかり、そのような世界こそが天国である。

 このように地上に降りて生きていても、

 この天国のことを思い出して、日々、生きることだ。

 天国の生活を、日々、想いにおいて描いて生きることだ。

 さすれば、その時に小さな小さな草笛を吹いていることになる。

 やすらぎの世界のことを常に想い描いて日々を生きることだ。

 

 その時に、大男は静まり、やがてあなたがたの敵ではなくなるだろう。

 あなたがたを味方し、あなたがたの思いのままに動いてくれる、

 大切な大切な力となるであろう。

  

 私は今、たいへん平凡なことを言った。

 平凡ななかに悟りの香りがあるという話をした。

 さて、ではこの成功の条件であるところの悟りの香り、

 魂が光っているとういう感覚と、

 忍耐ということはどういう関係にあるのか、わかるだろうか。

 

 すなわち、忍耐と成功とは、

 平凡という言葉によってつなぎ合わされることとなるのだ。

 非凡な毎日、非凡な生活のなかでは、

 忍耐というものは、それほど大きくはたらかないかも知れない。

 しかし、平凡な毎日を積み重ねてゆくということは、

 限りなく忍耐を要求されることであるのだ。

 

 平凡な毎日を送ってゆくということは、限りなく忍耐が必要となる。

 平凡な毎日を送りながら、

 その中で、天国の懐かしい情景をときおり心に想い巡らせて、

 そしてそれを理想と生きていくということは、

 絶えず困難で、絶えず難しい問題であると思える。

  

 しかし、こうした弛(たゆ)みない努力こそが、

 人をして、永遠に進歩させ続けるのだ。

 修行の過程において、一躍悟ることは難しい。

 

 一躍大いなる進歩をすることは難しい。

 一冊の本を読み上げることができなくとも、

 たとえ一行なりとも読み、

 今日は一歩前進したと思えるような毎日を積み重ねることが、

 実は大いなる未来を開いてゆくための鍵となるのだ。

 

 成功には、忍耐が必要で、

 忍耐を用いて成し遂げた成功は、

 決して他の人々の嫉妬をかうことはないであろう。

 

 それはその人が費やしたそれだけの努力が、

 他の人々の尊敬を受けるからである。

  このように忍耐を得られた成功には、必ず徳というものが光っている。

 

 この徳は、

 他人の嫉妬心や僻(ひが)みの心を完全に消し去るだけの解毒剤を有している。

 すべからく成功者は、このように、忍耐によって徳を身につけることが大事である。

 さすれば、必ずその努力は、

 報いがあって、しかも余りあるものとなるだろう。

 余得というものが生まれてくるにちがいない。

 私はそう思う。

 と、お釈迦様のたとえ話(仏陀再誕P221~242)ですが、その中で

 平凡な一日一日のなかの悟りとは、

 実は、ほんの小さな発見にあるということを私は言いたいのだ。

  ほんの小さな発見とは何であるか。

  それは、かつて、私たちが実在界・天上界にいた時に、

  知っていたところの音色だ。

  その音色を想い起こすということなのだ。

  私たちが悟りに到るためには、

  実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことなのだ。

  それが大事なのだ。

  とありました。 


  とむすけさんやはり 『反省→瞑想→祈り』大事ですよ。と、

 みなさんが教えてくださることもあり、実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことなのだ。とは、それを実際に継続していこうと思うならば、どうしても 『反省→瞑想→祈り』凡夫なりにも深めていく必要があると、強く感じさせていただいています。

 とはいっても、一躍という感じにはとうてい無理無理(>_<)なので、

 たとえば 『反省→瞑想→祈り』 の中の【瞑想】の時にその導入で、実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことできる心地よい調べというか、高次元波動(バイブレーション)の瞑想曲(何らかの笛)がほしいと思い、いろいろ探し試してみて考えるのですが、

 その中でも【陰陽師的瞑想曲】となると、心静かに集中しやすく心地良い感じ♪が強くする、映画陰陽師独奏の素敵な曲がよいだろうと選ばせていただいた次第です。

 すみません随分と前振りが長かったですが、結局はお気軽にお楽しみくだされば幸いです。(^o^) 

 また、この動画UPしてくださった方(作者に)に心より感謝いたします。m(_ _)m




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サプライズ 「海を抱きしめて」と「時代遅れの恋人たち」 

☆メリークリスマス♪ 今年もあとわずかとなりました。 この場をお借りして友人、知人、お客さま、ご近所さま、いろいろかかわりを持ってくださった皆様。 今年も本当にありがとうございました。 心より感謝いたしますm(_ _)m 

 去年のクリスマスは、☆メリークリスマス 前編  ☆メリークリスマス 後編 と、動画撮影して記事を書きましたが、気持ち的には何ら変わっていません。 

  今回は選挙応援で、動画撮影していたので時間がありませんでしたので申し訳けありません。(>_<)

 それでも何とか、今年も何か気持ちサプライズを提供させていただきたいところです♪

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 すでに、主は『未来の法』で明るい未来を指し示してくださっています。 当然、サプライズてんこもりで、来年も奇跡が続出することででしょう。 

 主よ、ありがとうございます。心より感謝いたします。m(_ _)m

 じっくり読み込んで、凡夫なりに頑張りますので、よろしくご指導をお願いします。

 チラ見しただけで、ニヤけてしまう感じです。

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 また、日本を救う陰陽師パワーの抜粋レジュメも作ってコツコツ勉強もしています。(^o^)

☆そうそう、今年は幸福の科学の映画が二本ありましたが、最初の「ファイナルジャッジメント」の挿入歌のPVがよくできていて、惹かれるので少しピックアップして話してみたいと思います。(^o^)


 映画ファイネルジャッジメントを、御覧になられた方しか分からないかも知れませんが、稟ちゃん(役)の揺れ動く心情を見事な表現で歌い上げていますね。(曲も、歌も、映像も素敵) 

 今後、世界各国で観られることを考えると、女性の『信仰ガール』といったような裾野を拡げる新ジャンルを作るくらいの強い影響を及ぼすと思います。

 これを観たら、男性も『信仰ボーイ』として(笑)、主役の鷲尾正悟、中岸憲三を理想のモデルとして、何らかの立派な真理体現者にならないといけない、いやいや、そうなりたい感じになりますね!

 現実にここまでハードな、信仰の真理の体現者にならないにしても、「霊的な自己」が五割を超えると、人生が変わると、繁栄思考(P105~106)にあります。

 『この「霊的な自己」を認識している割合が50%を超えると、人生が変わってきますし、周りにも、今までと違った現象が起きてくるようになります。 それは、その人の世界観が変わってきたことを意味しているのです。』

 というようなことくらいは、実体験させていただきたいものですねぇ♪

 鷲尾正悟、稟(リン)、中岸憲三は、当然、誰が観てもソウルメイトでそれぞれの使命を果たします。

 一般にソウルメイトというと大抵の女性は、ご自身のロマンチックなお相手を想像されるらしいのですが、広義では「人生の問題集」に深くかかわる問題となる人でもあるらしい(笑)ので、

 やはり、そこはできるだけ、少しでも認識を上げ、悟りを上げ、霊的知覚を磨き上げていきたいものですね。

 いずれにしてもこのような映画のようなシーンなんかは、常日頃しょっちゅうあるものではありませんから、もう少し一般的なごくふつうの日常に落ち着くのですが、

 たとえば、とむすけならロマンティクな話も皆無(苦笑)で、南海ラピートβやJRはるか号が、大好きだとか少年の延長を今だ超えないので、好きな歌に写真を使って動画をつくるとかしかネタがない。

 

 まあ、

 それが楽しいのですが(笑)。

 ということで、

 本日、急いで作りましたクリスマス用の特別サプライズです。(主のサプライズとは比較しないでね!)

 「ベストにこだわると次の一歩が踏み出せないことが多いので、『次善の策』で決断し、実現できないことは考えない。 実現の可能性が低いことがらについてあれこれ考えるのは時間の無駄。」

 というところからの発想で、とにかく手持ちの写真素材でチャチャッと作りました。笑

 お楽しみいただけると幸いです。m(_ _)m

 まずは、↓『海を抱きしめて』 (写真はすべてとむすけ撮影です)

 とむすけ自身の、今現在の心境には合わない歌詞かもしれませんが、一般的にはこうしたニーズは多いかも知れませんね。 

 ただ、海を抱きしめるという気持ち、海を眺めて癒される気持ち、大らかさが取り戻る気持ちは、十二分に体験させていただいています♪


  生まれて来なければ よかったなんて
    心が つぶやく日は
    人ごみに背を向け 会いに行くのさ
    なつかしい海に
    幼な児よりも ひたむきに
    遠い名前を呼んで
    汗ばむ心潮風が 洗うにまかせれば
    いつのまにか生きることが
    また好きになるぼくだよ

    誰かがぼくよりも まぶしく見えて
    心が うつむく時
    カモメの笑い声 聞きにいくのさ
    いつもの渚に
    なんて小さな 悲しみに
    ひとは つまずくのだろう
    船乗りたちがするように 海を抱きしめれば
    忘れかけた大らかさを
    またとり戻すぼくだよ

 そして、↓『時代遅れの恋人たち』 あらためていい年齢してきて思うことは、長い長い永遠の転生の今が、その過程の途中ですから、万一ロマンチックなソウルメイトがでてきたら、「純粋な思いでお互いに、こういうマインドでいられたらいいなぁ。」と、いうような勝手な願望(爆)ということで。(苦笑)

  手のひらに澄んだ水をすくって
  お前の喉に 流し込む
  そんな不器用で強くやさしい
  つながりは ないものか

  恋人よ 愛なんて 言葉は捨てろよ
  流行りの服も 生き方も 疲れるだけさ
  裸足で 青い草を踏みしめ
  この腕に かけて来い

  飛び上がって もいだ 青いリンゴを
  かわるがわるに かじり合う
  そんな飾らない だけど確かな
  つながりは ないものか

  恋人よ 愛なんて言葉は捨てろよ
  生まれたままの まごころを くれればいいさ
  かわりに誰も やれないものを
  その胸に 伝えよう

  恋人よ 愛なんて言葉は捨てろよ
  ざわめく街は 青ざめた人々ばかり
  迷わず熱く 肌を火照らせ
  この腕に かけて来い

 何らかのサプライズとなりましたら幸いです。

 御覧いただきまして、本当にありがとうございました。m(_ _)m 

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☆ついき党首の政見放送と、TV出演

☆ついき党首の『政見放送』と、『TV出演』 これも、とりあえず記事として残しておきますね。 

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☆第46回衆議院議員選挙 幸福実現党 近畿ブロック 出陣式 の1日

☆第46回衆議院議員選挙 幸福実現党 近畿ブロック 出陣式の1日 (平成24年12月4日・選挙期間中により、この動画記事のUPは控えていました) を、VTR撮影させていただく貴重な機会を賜りました。m(_ _)m と、いうのも『出陣式』は特に厳粛なる神事の撮影を含むからです。

 左傾化しているマスコミが、今だ『幸福実現党』を正しく報道をしないこともあり、大阪本部の本部長、副本部長さんはじめスタッフの皆さんは、より多くの一般の方々に、この真実を少しでも早く知っていただきたい、世間の嫉妬や中傷、憶測で揶揄されるようなものは(嘘、偽りに振り回されている時間が無駄)一切はない!ということの証明として


 こうした『出陣式』(神事)を、すべて公開しているものであります。

 幸福実現党は、日本の政治の混迷にあって、より多くの皆様方に本来の政治とは、正義とは、正論とは何なのかを、現在唯一、明らかに示すことのできる先見性抜群の政党であり、

 たとえばマルクスのいうような『宗教はアヘン』であるといったような、日本人特有の間違った宗教観、社会主義、共産主義的思想をも正していける力があります。 


 ↑↓出陣前の決意表明。大阪南森町の大阪正心館前で、ついき秀学党首と深田としこ候補


 さらに、移動して↓なんば駅前で、中川よしもり候補、深田としこ候補、ついき秀学党首の街宣です。

 特に、中川よしもり候補のお話は『サムライ政党』というキーワードで、立党以来の活動総括を簡単にまとめ代弁しているところがあり、これは必聴ですね!






 今回の衆議院議員選挙も、この世的な浅薄なる勝ち負けのところだけを見れば、ひとつの議席も取れず惨敗のように見えなくもありません(笑)が、実はそれだけではないのが幸福実現党であります。

 ますます、この他力というか、誠に不思議な異次元パワーというものが、目に見えない背後で強く働いていることを、日に日に強く感じさせていただいております。(幼稚な負け惜しみで言っているのではありません) 

  正しい事を、正しい言論を貫き続けるとは何と素晴らしいことなのでしょうか!

  特に現代の陰陽道、陰陽師パワーを学んでいるからかも知れませんが。笑

  ヘルメス神よ、主エルカンターレよ、ご指導、誠にありがとうございました。m(_ _)m

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☆「仏陀再誕」の政治の部分を読み返す♪

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☆振り返ってみると、よもや政党応援(幸福実現党)するなど全く思ってもみませんでした(苦笑)が、とむすけの場合、やはり、安倍晴明公や賀茂光栄さま、賀茂一族様方の陰陽師パワーが背後に働いてのことかも知れませんね。 不思議ですけど。

 そこで初心に帰るとよく言いますが、理想の政治とは何なのか、仏神の御心に叶う政(まつりごと)とはどういうものなのか、

 そもそも沈黙の仏陀が今の日本の政治を御覧になられて、どのような思いでいらっしゃるのか、せっかくの貴重な機会をいただいていますので、お釈迦様の本心を学ばせていただきたいと考えました。

  それには『仏陀再誕』の第4章 政治と経済 の中の政治の部分(P150~168)適切であると考え、その抜粋を再び読み返して素直に、謙虚に学んでみようと思います。

 語りかけの言葉で読みやすいと思いますので、よろしければ、ごいっしょに静かな心の目を通して、魂で味わってくだされば幸いです。

諸々の比丘、比丘尼たちよ。(P150)

私の言葉をよく聞きなさい。

私はかってあなたがたに、

心について、心の教えについて、

さまざまに語ってきたはずである。

そして、心の教えとは、

時代を超え、人種を超えて、

いつも妥当する教えであると説いてきたはずである。

しかし、 諸々の比丘、比丘尼たちよ。

あなたがたが生まれているこの時代に、この地域には、

あなたが過去、修行によって学ばなかったものがある。
(P151)

あなたがたは今の時代において、

政治をどうとらえたらよいかが、わからないであろう。

あなたがたは今の時代において、

経済をどうとらえたらよいかが、わからないであろう。

その通り。

私は、過去あなたがたに政治の道は説かなかった。

私は、過去あなたがたに経済の道は説かなかった。

私は、過去あなたがたに、政治や経済を離れ、 ただ心の安らかさを求めよ、と説いた。

しかり、しかり。

今の時代においても、 心の平安こそが、

心の調律こそが、 そして、悟りの道こそが、至高の徳であることは変わりがない。
(P152)


しかし、

諸々の比丘、比丘尼たちよ。

この時代に、この政治のなかに、この経済のなかに、

生きているあなたがたは、 いかに惑い、いかに戸惑うことであろうか。

そうしたあなたがたをの姿を見ていると、私は涙を禁じえないのである。

比丘、比丘尼たちよ。

しかし、惑ってはならない。

この世に現れたるものは、すべて真実の仏の心が、

何らかのかたちで展開しているのである。

したがって、
(P153)

あなたがたは、いたずらに政治から逃れようとするな。

あなたがたは、いたずらに経済から逃れようとするな。

あなたがたの今世の修行は、

この政治のなかにあって、この経済の中にあって、

心清く、心正しく、心穏やかに生きるとは、そして、

仏の心にかなって生きるとは、 いかなることであるかを示すことではないか。

そう、時代は変わった。

されど、永遠の法は変わらない。

この永遠の法を人びとに伝えるためには、

あなたがたは、この世の中のものすべて否定してはならない。


この世の中に潜むあらゆる善を発掘し、(P154)

この世の中に現れる、あらゆる悪を消し去ろうと努力せよ。

そして、そのなかに真の修行者の道を得なければならない。



諸人よ、よく聞きなさい。

私が法を説いているこの日本という国は、

世界をリードする時代に入ってきた。

しかし、世界をリードする国が、 その拠とすべき精神的支柱を持っていない。 

これは、憂えるべきことだ。

一家において、主人が、家長が、

心正しくよく働き、皆の者をよくまとめていってこそ、

家庭は繁栄する。
(P155)

同じように、国の政治を司る者が、

心清く、心正しく、欲望から離れ、執着から離れて、

そうして民の幸福をのみ考え、

多くの者どもを幸せにすることのみを考えて、政を行うとき、

国は自ずから治まり、そして平らかとなる。

されど、今、この日本には、帰依すべき法がない。

国家が帰依すべき法がない、教えがない。

嘆くべきことである。

私はそう思う。

国家というものを、永遠不滅のように考えているのか。

それは、時代により、地域により、人びとにより、変わってきたものだ。

その名前が変わろうとも、その地域が変わろうとも、
(P156)

しかし、その背後にあって永遠不滅の法があった。

永遠なる法があったのだ。

永遠なる法は、仏の心を忠実に地上に顕わさんとして出てきたのだ。

諸人よ、これより後、 あなたがたは修行するのみではならない。

あなたがたは、単に自己修行のみに生きてはならない。

あなたがたが修行する姿そのものが、 多くの者たちを目覚めさせるものではなくてはならない。

あなたがたの修行が、 修行するあなたの群れが、
(P157)

世の中を変えてゆくものでなければならない。

私はそう思う。



欲望に成り立っているこの社会を変えてゆくものは、

欲望によっては成り立たないものであろう。

欲望によって混乱している社会を変えてゆくものは、 執着を離れた人々の行動であろう。

私は、そう思う。



真の執着とは、それは仏への道を志すこと。

この大いなる真の執着は、何人も持ってよいのものである。

されども、偽りの執着とは、
(P158)

この地上にのみに、自らの身を置き、

この地上においてのみ、自らを生きやすくせんとする心である。

このような偽りの執着を捨て去り、

大いなる執着を、

真なる執着を、

仏へと向かう執着を持つことは大事だ。



執着という言葉は悪いかもしれないが、

執着とは愛着と言い換えてもよい。

いや、強い牽引力と言ってもよい。

強い結びつける力と言ってもよい。
(P159)

仏へと、限りなく自らを高めてゆく力を言ってもよい。


さすれば、あなたがたはこれより後、

この世の中の在り方を変えよ。

この世の中の姿を変えよ。

この世の中の仕組みを変えよ。

唯一の力によって。

大いなる仏と一体化する力によって。


そうして、この世的なる執着を断った平和な心によって。


世の中を変えるに、

革命をもってするという人もいる。
(P160)

暴力をもってするという人もいる。

流血をもってするという人もいる。

しかし、私はそのような考えをとらない。

世の中をかえてゆくには、平和な心が大事である。

もし、暴力によって国家が覆ったところで、

その新しい国家もまた、いずれの日か暴力によって倒されるであろう。

流血によってなされた革命は、

やがておびただしい流血を招き寄せるようになるであろう。

そうであってはならない。

世の中を変えてゆく時に、

あくまでも心の平静を大事にしなければならない。
(P161)

心の平安を大切にしなければならない。

調和を基準として世の中を変えてゆかねばならない。

極端なものを去り、調和を中心とし、

すべてのものが栄えるをもってよしとせねばならない。



今の日本という国の政治を見ていて、 いちばん嘆かわしい点がここにある。

諸党派相争い、自らの利害を主張し合う。

これを民主主義と言う人もいるのであろうが、

こうした政治が、決して仏の心にかなうとは、私は思わない。
(P162)

ほんとうに仏の心にかなうのならば、

ほんとうは、諸党派相まって、

ほんとうに世の中を、人びとの心を、

明るくし、幸せにしてゆくには、どうしたらよいかということを、

真剣に考え合わなければならない。

真剣に提案し合わなければならない。

欲望の民主主義は真実の政治ではないということを知らねばならない。

欲望に基づいて互いの利権を主張し合うことをもって、

自由と混同してはならない。

自由とは欲望の自由ではない。

自由とは欲望を競わせることではない。

そんなことがほんとうの民主主義であってはならない。
(P163)

欲望の民主主義であってはならない。

自らの政治の利便のために、

欲望のために、候補者を選び、

そしてそのためだけに政治をやらせてはならない。

そうであってはならない。

より多くの人々が、 いや、万人が満足できるような社会をつくり出してこそ、

はじめて素晴らしい政治だと言えるのだ。

そのためには、心から争いを去ることが大事だ。

心から争いを去らねば、真の調和は生まれない。
(P164)

今、いろいろな政党が相争っている。

仏の目から見て、これがいかに嘆かわしいことであるかわかるか。

また、同一政党のなかにおいても、各派が相争い、

自らが首長になろうとして、競争している。

それはそれで進歩の原理にかなうところもあるのではあろうが、

しかし、「それにしても……」という感が拭えないのはなぜであろうか。

それは、人びとに、

争いことを好む人を上には置きたくない、

という気持ちがあるからなのだ。

下々の者が争うということは、

見ようによっては、

子供たちの他愛もない喧嘩のようにも見えるであろう。
(P165)

しかし、自らの上なる人、

人びとの上に立つ人たちが相争う姿を見て、

どうして国民が心穏やかに生きてゆくことができるだろうか。

争いを上に置いて、下が、何ゆえに穏やかになるだろうか。

調和できるであろうか。

調律できるであろうか。

そんなことは、矛盾でしかない。

矛盾以外の何ものでもない。

人の上に立たんとする者は、 秩序と調和というものを大切にしなくてはならない。

そして、常に多くの人に見られ、

多くの人びとに、
(P166)

徳ある人として尊敬される人間でなくてはならないと思う。

国会という国の政治を論議する場において、

粗暴な言動は許されない。

人間として恥ずかしい行為は慎まなくてはならない。


そして、いかに自らが当選し、自らの権益を拡張したいからといって、

他を追い落とし、他の人格を批判することがごとき言動は、

厳に慎まなければならない。


そうしたことを、言論の自由と呼んではならない。

私はそう思う。



政治の貧困は、心の貧困に起因する。

政治は、国民から選ばれたる人びとによって行われている。
(P167)

国民から選ばれたる人びとが、心不在の政治をするというのであれば、

彼らを選ぶ国民の側にも心が不在していると言わざるをえない。

そんあことであってよいはずはない。

真心の政治をせよ。

誠心誠意、世の中をよくするために行動をする人を選べ。

そういう風潮を出してゆかねばならない。

今の政治は、憂うべきことである。

誰を選ぶか、それがわからないのであるならば、徳高き人をまず選べ。

いちばん徳高き者は誰であるかを互選によって選べ。

数の力でもって決めてはならない。

金銭の多寡によって決めてはならない。
(P168)

その人の政治手腕にのみよって決めてはならない。

いかに仏に近き人を選ぶかということが、大事であるのだ。

そうして、政治の中には、

決して諸党派の相争いを持ちこむのではく、

どういうふうなことをするならば、

国民が豊かになり、幸せになれるかということを、

常に念頭におかなければならない。


 ああ、なるほどなと、深く 胸に去来する箇所が沢山ありました。

 やはり、日本の政治混迷の中にあっては欲得関係なしに真実を貫いていくのが使命かなと、自覚を新たにさせていただきました。 悪想念蔓延の中にあるときこそ、真実の教え、高度な思想に触れて燻重させておくべきなのだろうと思います。 

 長文にわたり御覧いただきまして、本当にありがとうございました。m(_ _)m

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☆北朝鮮ミサイル発射を受け12月12日大川隆法総裁

☆北朝鮮ミサイル発射を受け12月12日大川隆法総裁 経済産業省前街頭演説 

 3年半前から、国防を一貫して訴えているのは幸福実現党、ただ一つです! 

 幸福実現党立党以来、撮影取材を続けさせていただいている、とむすけはとても幸せです♪ 

 先見性が非常に高いので、その時は理解できないこともありますが、時間が経てばなるほどということの連続で、正直何度も、何度も目からウロコりました。 それでもまだまだウロコると思います。

 先が見えるとはこういうこと、主エルカンターレの偉大さ、救世主の降臨に、心より感謝いたします。m(_ _)m 

 正直、今も目からウロコっている再中の連続でありますが、一切の嘘無く仏神の正論を貫き通してくださっています。 

 国師 大川隆法総裁の獅子吼!これが本物の獅子吼です!  

【2012,12,12 動画第一弾】 大川隆法・幸福実現党創立者 兼 党名誉総裁 経済産業省前街頭演説


【2012,12,12 動画第二弾】 大川隆法・幸福実現党名誉総裁 渋谷街頭演説


【2012,12,12 動画第三弾】 大川隆法・幸福実現党名誉総裁 新宿街頭演説


※出典はこちら、TheLibertyweb こちらでは文字でも、その詳細も御覧いただけます。 

おっと、動画も文字情報も、早くも非公開ですね。 残念。 中味が濃いので是非ご購読を(^o^)/~~~

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